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今後とは?/ アットローン

[ 685] X51.ORG : 人間の寿命は今後20年で1000歳以上に
[引用サイト]  http://x51.org/x/04/12/1018.php

従って、おそらく今後10年の間に我々はまずネズミに対して実験を行い、その寿命を著しく延ばす事に成功するでしょう。
そしてその次の10年間で、人間にも適用することが可能になると見込んでいます。この技術が完成すれば、我々はもはや老化による老衰や虚弱、そしてそれらに起因にする疾病を恐れることはなくなるわけです。
もちろん、こうした技術が完成した後も、我々は不死になるわけではありません。それは例えば交通事故や、毒蛇にかまれた時、新種の悪性インフルエンザにかかった時、我々はこれまで通り死ぬでしょう。しかし、我々全てを待ち受ける死因の一つ - 老衰は避けられるようになるわけです。
また私の推測では、この技術は現在生きている我々の世代に適用することが可能だと考えています。なぜなら、現在中年や老年の身体に蓄積された損傷も修復することが可能だからです。従って、この技術が完成し、1000歳まで生きることになる最初の世代は、今現在60歳程度の世代になるのではないかと考えています。
ただし、この技術は老化それ自体と同じく、非常に複雑なものとなります。老化現象は大きく分けて7種類の細胞と分子の損傷が原因となっています。例えばそれは細胞が置き換えや転換なしに失われていくことなどです。しかしまた、これらの現象は現在使われている、あるいは開発中のテクノロジーによって潜在的には修復可能なことです。
人の寿命は様々ですが、現在一般的には、大体65歳から90歳くらいの間に死亡しています。人は年齢を重ねるうちに虚弱になるからです。しかし今後、人の平均寿命は大体数千年単位の範囲になるでしょう。これはもちろん推測値に過ぎませんが、この数値は現在の若年死亡者の平均寿命から導かれたものです。
例えば現在、あなたが安全な地域で暮らしている十代の少年であるとした場合、あなたが翌年死ぬ可能性は非常に低い。従って、その場所で生き続ける限りは50/50の可能性で千年以上生きることができるようになるわけです。
そしてここで重要なのは、そうなった場合、誰しもが虚弱や衰弱を恐れなくなるようになるということです。誰もが精神的に、そして肉体的に若いため、つまるところ貴方が気をつけるべきなのは、迫りくるトラックの速度、すなわち交通事故などになるわけです。
また、もし我々の技術が完成し、実際に老化が防止されるようになれば、大きな社会的変化が起こるでしょう。事実、現在我々が行う研究に対して惧れを抱き、人間の自然の摂理に逆らうべきではない、と主張する人々も少なからず存在します。しかし、私に言わせればそれこそ悪徳であると思います。そうした主張はすなわち、我々は生きる権利を否定するべきである、とするものと言えるでしょう。
確かに、人が生きること、死ぬことを選ぶのは人間に与えられた最も基本的な権利です。しかしその一方で、我々の力の及ぶ限り、人々がより良く生きるチャンスを与えることは、我々の最も基本的な義務の一つなんです。
例えば人を延命すること、そして命を救うことの間には違いはありません。何故なら、それらはどちらとも、我々が彼らに対してより長く生きる権利を与えることに他ならないからです。そしてこの理屈でいえば、抗老化を行うことを否定するのは、そのまま老人を延命することに価値はない、というのと一緒で、高齢者差別だとさえ言えるでしょう。
また一部にはこのように革命的に人々の寿命が延びたならば、人は恐ろしく退屈な日々を送ることになるのではないか、と主張する人もいます。しかし、私に言わせれば、まったく逆です。寿命が延びることにより、人はその生命を最大限に利用して、能力を高めていくことが出来るでしょう。実際今日でさえ、しっかりとした教育を受け、探求心を持った人は退屈など感じる暇さえありません。それに人が興味を持つべきものがこの世から全く無くなるなんていうことは想像もできません。
それから、中にはこうした抗老化技術の開発をあたかも神様ごっこのようであるとして、自然に反するものであると否定する人々もいます。しかし、私に言わせれば、我々が発見出来るものを無視すること、そのほうが余程不自然なことです。我々人類はこれまでにも、車輪や火を開発し、その能力や苦手なものを補うことを実現させてきたわけです。
そして我々は今、人類が長い間恐れ続けてきたもの、老衰や虚弱に対して戦いを挑むわけです。それに、もしこれが神様ごっこに見えたとしても、おそらくそれさえも、結局は神の手のひらの上の出来事に過ぎないわけですからね。」
現在、オーブリー博士は大学でのSENS計画を進める一方、ネズミを延命させる事を競いあうメトセラマウス賞も主催している。
昨日の奇跡体験!アンビリバボーで「衝撃報告!20年後にヒトの寿命は1000歳になる」という特集をやってました。不老不死を実現している生物としてベニクラゲが登場し...
元放送作家でエッセイストとして知られる永六輔氏が、多国籍IT企業フィリップスにより極秘開発された「リバース・エイジングLEDアレイ」の実証人体実験に参加...
これが普及したら、頭の固いじーさんばーさんが死ななくなっちゃうじゃないか。ほっといても自動的に世代交代していくのを俺はすごく期待してたのに。
善人で生きている人は、死んだ後に天国にいけるから。とか考えるんだろうけど、老衰が無くなるってことは、ほとんど死ぬってことが考えられなくなるのと同じなのではないだろうか?
人間の興味がなくなることはないっていうけど、実際生きれる年を増やす前にいろいろと法律やらなんやらを変えなければならないとおもうね。40代以上の中卒の人とかが気軽に通える高校とか。
でも成し遂げられなかったらこの記事を思い出すことはないでしょう。ようするに記憶というものは曖昧であると。
ということは若返らせることもできるといっているんでしょうか。永遠に若い体かぁサイヤ人や波紋使いみたいだ。
いかんせん人生は短い、過去の人間を見れば分かるが、自分が残した成果なんてものは80年ぽっちの人生じゃ分からないものだ。せめて自分がやったことをわずかでも多く見てみたい。
人口や食料の問題は気にしても始まらない、それはいつか石油が枯渇するのを恐れているのとさして変わらないくらいの問題だ。いずれ無くなるものは無くなる。遅いか早いかだ。
あと、怪我や病気に関してだが、トカゲとかは肉体の一部が破損すると特殊な遺伝子が破損した部位のデータを引っ張り出して直すのだそうだが、人間にもその遺伝子は発動してないだけであるそうだ。
理屈はどうでもいいから、ただ長生きしたいという気持ちも理解できる。老いさらばえてまで生きていたくない、という気持ちも解るきがする。
考えても答えは出ないが、まあいいや。考えようが何しようが俺も他の人と同じく、寿命は限られているんだから。
60年代のアメリカでもティモシーリアリー博士なんかが、20世紀の終わりには老衰で死ぬ事は無くなるなんて言っていたが。
このままだって地球はあと千年保たなそうなのに、そんな技術が出来たら確実に人類が滅びるのを早めるだけだよ。
今日この人、J-waveのラジオ番組に電話で出演してた。もちろんこのニュースについてのインタビュー。
そもそも人間は200年以上生きられないような体の仕組みになっているという事は、それに意味があるんだろうに。
経済的に追いつかなくなってきた人から脱落してゆくのか・・・。"一期一会"とか"光陰矢のごとし"とかいう言葉も消えてしまう。
はんを推したような毎日の人生に刺激を求めて犯罪者が世に溢れかえるかも知れないし、人口問題や食糧、環境問題もどうなるのやら……。
長生きはしても、ボケてたら、そんな人が沢山いるようになったら、凄い困った事になるのではないのかと……。
・・脳はチップでも何でもいいさ。多少人格やらがかわっても自分が生きれたらいいだろ。定義なんて知らんよ。
1000年も生きてどうするんだよ。今どう生きるかさえ俺は大変なのに、1000年もどう生きるかなんて、俺なら生きる気失せて自殺するだろうね。前なんかの漫画であったなぁ。主人公達が不老不死の薬探してついに見つけるんだよ。でも主人公はこう言いながらそれ捨てちゃうのな。
まぁでも、自分の彼女には勧めるかもしれない。死んで欲しくないし綺麗でいて欲しいって言うエゴイズムが働いてね。自分が可愛いっていうナルシズムが働く人は、自分にやりたくなるんだろうね。
1000歳までもいきたくない!って人もいれば 永遠にいき続けたい人もいるわけだし、自分で寿命を選ぶ時代が来るのかな。
例えば去勢手術+家族とはもう二度と会わない、月面開発とか凄まじく危ない所に無償で出向く義務を負う。とか。
千年も生きていれば>113が言ってるように、差別だとか戦争だとかが下らないことだって悟り開くんじゃないのか?
「寿命が1000年あるのが当然である世界」が当然のものになってしまえばもはや問題はないだろうが、その世界への「移行期」というのを考えると、やはりそこが一番の困難であると思うし、人類が克服するには結構な年代がかかると思う。
現代でさえ、先進国のような豊かで便利な世界のすぐ隣に、今日食べるものもない世界が並列しているわけだから、1000年の寿命の人間と今までどおりの寿命の人間の対立が激しい時代がかなり続くことは容易に想像がつく。しかも、そんな便利な先進国にも先進国ならではの問題があるように、1000年の寿命の人間の世界にもその世界ならではの問題が生まれるはずだ。
要するに、人類「全体がそろって」次の段階にいく、というのができないことにすべての問題があるのであり、それじゃあどうしたらいいのか…そこらへんをふまえた面白いSF的な投稿記事がもっと読みたいんですよ俺は。サイトは本当に面白くて刺激的だし面白いことを書く人も確かにいるにはいるけれど、なんでほとんどはこんな想像力の貧困なやつばかりなんだ。
長寿国がのきなみ戦争を国外の代理戦争にしているのはそのため。発展途上国が戦争まみれなのもそれが理由。
1000年もあったら色んなことに挑戦できるなぁ。男に飽きたから女になってみよぉーっとか。事業が失敗しても平気だしね。
でも、こんな技術が普及するのは先進国だけ。途上国の人達はこんな先端技術の利益を享受できないのは、今の途上国の医療とかの現状を見れば明らか。この時点で寿命を延ばせる人はかなり限定されてくる。
そして、実際に人口増加が問題になっているのは途上国で、先進国の出生率は毎年下がっている。出生率が下がるのは、死ぬ危険と反比例しているから。死ぬ危険がなくなった状況では生き物は子孫を積極的に残そうとしない。
社会的に1000年生きる人とそうで無い人との間で対立が起きる、というのも、一般に技術が普及している状況になれば人それぞれの格差も小さくなるし、差別の問題は進んだ社会であるほど解消されていく。今の日本やアメリカなどの国の社会は、そのくらいのことは許容できる所までは成長してるんじゃないだろうか。というかそう信じたい。
俺は時間の感覚は1時間だとすれば、1時間/今まで生きた時間×そのときの感情 とか勝手に思っているから900歳ぐらいになると、時間がすごく早く感じると思うんだ。
実際技術が完成して、それを実行したところで1000年生きられるかどうかは1000年経たないとわからないし、それどころかいつ死ぬかもわからない。
なんでこんなに否定的なんだ?選択肢が広がっていいじゃないか。やっぱりすごい技術はすごいと認めようよ。その他の問題は1000年いきてるうちにおもいついてなんとかなるよ。
細胞の損傷がなくなるってことは若返るってことじゃないのだろうか?まあいずれにせよ死を選べるってことはいいことじゃないのでしょうか?
兼好法師も「人は40くらいで死ぬのがいい」と言っている通り、(40くらいで死ぬのは極端にせよ)やはり年老いたまま長く生きるのは個人的にはちょっと…。
裕福な人たちはいいよね、楽しいことがいっぱいあってさ、私みたいな貧しい者には生きるのがつらいよ、そしてそんな薬が開発されても手に届かない価格で、長生きできるのは金持ちだけなんだろうな〜あんなにヒゲをはやせるだけの余裕がほしい、、、神様は不公平だ、、もうたくさんです。
感情を除いた上で考えると、その技術が現実のものになることに物体の形状を1000年も維持できるということに何を異論を唱える必要があるだろうか。
全く不可能なことでも可能にしていく精神を持つことができないのであれば、1000年も生きる必要はないが、その精神を持つ人ならば、1000年でも足りないのではないだろうか。
技術うんぬんは彼(グレイ)以上に研究してない人が否定・肯定してるの読んでも説得力ないし、興味ない。発想を柔らかくしないと1000年生きても楽しめないよ。クローンに脳を移植って、近い内にありえる?
で、まず俺が思ったのは、たぶん「個人主義の社会」になるだろうね。血縁関係ですら浅いモノになるだろうね。家族も死なないんだしさ。そこで生まれる需要は「休憩」だと思う。100年休みたい、5年間寝てたい、マトリックスみたいに、100年寝てる間に語学を脳に習得したいとか。。。
まぁ俺らが生きてる間はこの1000年説はないだろうね。ってのが現実。よってこういう討論は「もし3億円宝くじ当たったらどうする?」と似てる。同じくらいの確率だろうなぁ。。。。。
この技術は最高じゃないか。嘘くさくはあるが、もしこの技術を手に入れられるならそれこそ悪魔に魂を売ってもいいぜぇ。
だいたい2000年も昔の親父が呟いた妄想を信じてるのは考える力が無いとしか思えない。そういうやつこそいなくなって欲しいね。
勝手にありもしないことを妄信し、自分自身くたばるのは止めはしないが、それに他人を巻き込むなんてご近所迷惑もいいところだ。
ベニクラゲは、死ぬ間際にまた子供の状態に戻るらしいから、1000年生きるったってずっと老人のままじゃないんだろう。
だけど、嫌な事は乗り越えたり、解決したりして、また次に面白いことが出てくる、と思うとずっと自分からは死のうと思えずに生き続ける気がする。
その前に環境問題とか人種、宗教間の対立とか他のいろんなことで地球が50年も続かないと踏んでいるけど・・・
ちょうどマイナスイオン風呂やトルマリン・ペンダントのようなものです。疑似科学と言われても否定は出来ないでしょう....
PROMOTIONS?女性の考えた女性用バイブカップ式構造で、挿入口のスポンジにローションコンニャクやカップ麺を使うのなんて時代じゃない巾着に収まる超かわいいぬいぐるみの子ネコうさぎにイカされるなんてうまいに違いない(75%)ほとんどの人が、枕を股に挟むと気持いいと感じていると思います。

 

[ 686] 世界の処方薬売り上げトップ10と今後期待の新薬 | WIRED VISION
[引用サイト]  http://wiredvision.jp/archives/200603/2006033105.html

世界における処方薬の売り上げは、ヨーロッパや北米の伸びが鈍化しているにもかかわらず、初めて6000億ドルを超えた。
「こうした市場は、全体に占める割合こそ小さいが、成長が期待できるところでもある」と、IMSヘルス社のマレー・エイトキン上級副社長(企業戦略担当)は話した。
世界一売れた薬は、5年連続、米ファイザー社の高コレステロール血症治療剤『リピトール』だった。年間売上高は129億ドルで、2位の薬とは2倍以上の開きがあった。リピトールの後には、米ブリストル・マイヤーズ スクイブ(BMS)社と仏サノフィ・アベンティス社の抗血栓剤『プラビックス』、英アストラゼネカ社の胃食道逆流症治療薬『ネキシウム』、英グラクソ・スミスクライン(GSK)社の喘息治療剤『アドベアー』といった製品が続いた。
世界で最も売れた薬剤のリストから明らかに抜け落ちているものがある――バイオ医薬品だ。米国内では、貧血治療薬として米アムジェン社の2製品と米ジョンソン&ジョンソン社の1製品が、売り上げの上位10位以内に入っている。タンパク質から作られ、注射が必要なこうした薬剤はバイオテクノロジーに革命をもたらしたが、世界的に見るとまだそれほど影響を及ぼしていないようだ。とはいえ、バイオ医薬品は17%の伸びを示し、売り上げは530億ドルに達している。リストに載っている薬剤のほとんどは低分子、つまり20世紀初頭に製薬ビジネスに弾みをつけたものと同種の化学薬品だ。
売り上げは伸びているが、現在の大手製薬会社には革新性は欠けている。エイトキン副社長によると、2005年に主要マーケットで発売された新薬はたった30種類しかなく、1990年代の最盛期に比べると大きく減っているという。一方、明るい兆候としては、2005年には臨床開発段階の薬剤が2300種類あったことが挙げられる。最終段階のものとして、ガンの治療薬が96種類、心臓病の治療薬が51種類、抗ウイルス剤が37種類、関節炎や痛みの治療薬が28種類あると、IMSヘルス社は報告している。バイオテクノロジーによって開発される薬がいよいよ増えているが、このことは一般に考えられているほど大きな問題ではないと、エイトキン副社長は主張する。
「10年前に革新がどこで始まったかという点で見ると、歴史はそのままでいい」とエイトキン副社長は話す。例えば、多くの新薬は、高脂血症治療剤『プラバコール』に代表されるように日本企業や、抗ガン剤『タキソール』のように学術機関によって開発された。しかし、これらはいずれも、BMS社が供給し、巨額の売り上げにつながったのだ。
大手製薬会社が抱える問題はほかにもある。10億ドル単位で売れている薬剤はたくさんあるが、圧倒的な売上高を誇る薬剤がほとんどないことだ。売上高で2位の薬は、1位のリピトールの半分でしかなく、10位に入った米ワイス社の抗うつ剤『エフェクサー』の売上高は「わずか」38億ドルにとどまる。これはつまり、新薬の開発に成功したとしても、ジェネリック医薬品が生まれることによる売上高の穴が埋められない可能性があることを意味する。
BMS社とサノフィ社が、両社の主力製品であるプラビックスの特許をめぐり、カナダのジェネリック薬品メーカー、アポテックス社と和解を迫られた理由の1つも、この点にある。
しかし、米イーライリリー社と米アミリン・ファーマスーティカル社が共同で商品化した糖尿病治療薬『バイエッタ』、米セプラコア社の睡眠補助薬『ルネスタ』など、昨年発売された新薬の中に大きな可能性を秘めるものがいくつかあると、エイトキン副社長は強調する。さらに今後も、注目に値する薬剤が続々登場するという。とりわけ今年は、ファイザー社が初めて大々的に開発に取り組んだガン治療薬『スーテント』、サノフィ社が開発中の肥満治療薬『アコンプリア』という2つの主要な製品が登場する。
スーテントはすでに市場に出ているが、売り上げに関するデータはまだ得られていない。アコンプリアは米食品医薬品局(FDA)の認可待ちで、禁煙補助薬としては却下されている。心臓病の専門医の間には、この薬で心臓病のリスクが減る可能性があると歓迎する半面、副作用を心配する声もある。
アコンプリアは、マリファナ使用者に空腹感を覚えさせるのと同じ脳内レセプターをブロックすることで機能する。しかし、臨床試験で患者がアコンプリアの服用を中止するもっとも一般的な理由として、不安感などの精神的症状が出ることが挙げられている。シーダーズ・サイナイ医療センターの医師プレディマン・K・シャー氏は「これは『幸福感を覚えるレセプター』をブロックする薬だ。主な不安材料として、うつや自殺願望に悪影響が出る可能性があることが挙げられる」と説明する。ただ、それでもシャー氏はこの薬に大きな期待を寄せている。

 

[ 687] 今後の取組
[引用サイト]  http://www.soumu.go.jp/s-news/2001/011226_3_h.html

本章では、本報告書のまとめとして、研究会における検討結果を踏まえ、今後の取組について提言を行う。
第3章における検討結果をIP電話の品質に係る基本的な指針として、IP電話サービス提供事業者等がIP電話の品質を示す場合に活用するとともに、今後の具体的な取組は次のとおりである。
共通の条件の下でIP電話サービスの品質の評価を行うために、第3章における検討内容を踏まえ、標準IP電話端末等のIP電話の品質評価方法等に関する標準化作業を加速させていくべきである。また、この標準化作業を進めるにあたっては、国、関係事業者等が協力していくことが必要である。
また、標準化作業で得られた結果については、ITUにおける国際標準策定作業に反映させていくべきである。更に、IP電話端末については、他のユーザ及びIPネットワークに支障を与えないように、自動発信回数等の機能についても、標準化に向けた検討を行うべきである。
IP電話の多様なサービス展開が可能となるよう、その他の音声伝送用設備に定める接続品質に関し、IP電話については、通話品質と同様に電気通信事業者が総務大臣の確認を受けて基準値を定めることとするよう基準の見直しを行うこととする。
IP電話サービス事業者等は、ユーザがIP電話の品質を確実に知りえるよう、品質の表示等に努めることが必要であり、また、IP電話の品質評価に必要なIPネットワークに関する情報について、相互接続する他事業者、IP電話端末機器のベンダに適正に提供すべきである。
第4章及び第5章におけるIP電話の番号に関する検討結果を踏まえ、今後の具体的な取組は次のとおりである。
一般加入電話からIP電話端末に着信させるIP電話サービスの提供が可能となるよう、第4章においてIP電話の番号として適当とされた0A0番号を利用できるよう電気通信番号規則の見直しを行うこととする。
欧州のETSI、米国のTIAにおいては、IPネットワーク技術に関する標準化を積極的に進めており、我が国においても、IP電話の普及やIPネットワークの円滑な導入を推し進めること、また、国内の技術を国際標準に反映させていくためには、これらの技術に係る標準化を推進していくことが必要である。
異なる事業者のIPネットワーク間の相互接続、電話網とIPネットワークとの間の相互接続が必要となってくる。このため、1.7に掲げた異なるプロトコル間での相互接続、呼接続・切断等の信号の方式、課金処理等の技術的条件を整理した上で、関係事業者における連携の下で解決を図っていくことが必要である。
ハッキング、サイバーテロ、ウィルスなどの脅威からIPネットワークを防護するセキュリティ対策については、国、IPネットワーク事業者、ベンダ、ユーザ等がそれぞれの役割を果たすことが必要である。このため、セキュリティ基盤技術に関する研究開発、サイバーテロ等における官民の連絡・連携体制の構築だけでなく、関係団体を通じて、ユーザにセキュリティ対策の確実な実施と理解を求めていくことが必要である。
また、IPネットワークの進展に伴い、迷惑メール、迷惑呼、電話詐欺などの新たな問題が生じているが、適切な対応を図るよう、今後とも引き続き関係者間における協力体制を充実させていくことが必要である。
IP電話における緊急通話・重要通信の確保を図るためには、新たな研究開発を必要としているが、これらの研究開発については、通信事業者の努力に委ねるのみでなく、国としても必要な措置を講ずることが求められるものであることから、事業者等との連携、協力の下で、国が主導して研究開発を行うことが必要である。
今後も、既存の電話網を中心としたネットワークからIPネットワークへとの動きが加速されていくものと思われる。それに伴い、本研究会で取り上げた技術的課題だけでなく、IPネットワークが既存電話網のインフラに与える影響、IPネットワークインフラの構築、ユニバーサルサービスの問題など、様々な観点から検討すべき課題が残されている。
本研究会は、今後、IPネットワーク上で提供される新しいアプリケーションとしてIP電話の本格的な普及・展開が期待されるなか、主としてIP電話の品質及び番号をとりあげ、検討を進めてきたものであるが、今後、新たな問題等が現れてくることも考えられる。
このため、本研究会における検討で終えることなく、IP電話のサービスの普及やIPネットワークにおける新たなサービス動向等を踏まえつつ、検討を要する問題が生じた場合には、こうした研究会等において検討していくことが必要である。

 

[ 688] 2ちゃんねるの「終わり」とブログの今後 - nikkeibp.jp - from ガ島通信 メディア崩壊の現場を歩く
[引用サイト]  http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/06/2channel.html

前回の「ブログの終わりと始まり」に、たくさんのブロガーからトラックバックを頂きました。いろいろな視点があり参考になりました。何度も言いますが、物事は複雑です。この連載もある物事を一面的に切り取っているに過ぎませんが、ブログの双方向性がその一面性をフォローしてくれていると考えています。私の「視界」が狭くても、皆さんの意見を聞きながら考え方を見直し、整理することができるのは大変ありがたいことです。
「終わり」(ここでの「終わり」は前回とは意味が異なっています)と言っても、2ちゃんねるが閉鎖されたわけでも、消え去ったわけでもありません。私はこの「終わり」の意味を、2ちゃんがオルタナティブなマスメディアに成長できなかったと捉えています。
既存マスメディアでは、「怪しげなネットコミュニティの代表格」、「オタクやネット右翼の集う場所」などのレッテルを張られていますが、2ちゃんの魅力は真偽ではなく言葉遊びにあります。真実なのかウソなのか分からない面白そうなネタで言葉遊びをする。矛盾を突っ込んだり、応援したり、批判したりしながら書き込みが展開していくサイバーコミュニケーションです。
このような言論は一見無秩序に見えますが、そうではありません。広告やスパムコメントは、ボランティアの削除人が巡回して消去していますし、スレッドの話題と異なる書き込みやローカルルールを無視すれば2ちゃんの先輩たちによるアドバイスがあったりします。西村氏は「真偽は読者が判断すること」と発言していますし、2ちゃんねらーの「ソースを示せ」にも代表されるように、ある種のリテラシーも存在しています。
一時期猛烈に輝き、存在感を示した2ちゃんですが、なぜ「終わった」のか。なぜマスになり得なかったのかを解明するひとつのキーワードがリアルであると考えています。
ised@glocomでは、『オフ板は2ちゃんねらーが最後に行き着く場所だ』というコメントが紹介されています。このコメントは、「マトリックスオフ(公共の場所で、映画マトリックスに登場するネオをエージェントスミスが追いかけるという趣向)」を主催していたある人の発言です。
これは、2ちゃんがリアルへつながるコミュニケーションを模索していたことを示しています。他にも「うまい棒を持って選挙に行こう」、「湘南ゴミ拾いオフ」など、いろいろな試みが行われ、話題にもなりましたが定着しませんでした。リアルな行動すらネタ化されてしまいました。
これを最終的に決定付けたのが「電車男」です。「真偽不明」のネタだったはずのものが、本となって印刷され書店に積み上げられ、ワイドショーで語られ、人々の間で「確からしい」ものになっていく。次々と電車男関連本が出版され、映画、テレビドラマ化…。2ちゃんが紡ぎだした物語は、既存メディアに取り込まれ、消費されていきました。
ネタ物語のリアル化。この逆説によって、リアルを模索していた人たちは、既存マスメディアの軽薄さと、リアル世界のくだらなさを改めて思い知らされることになりました。「ウソから出たマコト」のような状況を冷ややかに見ていた2ちゃんねらーは、再びサイバーへ「引き篭もって」(決して否定的な意味ではありません。リアルを意識することが絶対善であるとは考えていません。あくまでマスメディアとしてどうなのかという視点ですのでご注意ください)いきます。
現在、2ちゃんは、細分化された各スレッドで「マターリ」とする場となっています。巨大な掲示板にもかかわらず、横のつながりを持たない小さなコミュニティの集合体になってしまい、マスメディアにはなり得ませんでした(リアルへ影響力を持ちすぎた2ちゃんを制御するため、西村氏らが電車男を「わざと消費させ」、リアルへの模索を失敗させたのかもしれない、とうがった見方が頭をよぎりましたが、これこそネタ文化2ちゃんの思うツボなのかもしれません…)。
ちなみに、2ちゃんは依然として大きな存在であるように見えますが、これは常に取り上げるものが一歩時代遅れである既存マスメディアの特性によるもので、消費の最終段階に入っているだけです。現状の「マターリ」が続く限り、2ちゃんがこれ以上社会的存在感を増すことはないでしょう。
では、2ちゃんとブログの違いはどこにあるのでしょう。ブログは「@名無しさん」が大半の2ちゃんに比べて、匿名にせよハンドル名(HN)にせよ、一定期間書き続けることによって管理人や運営主体の同一性が担保される構造となっています。そして、ほとんどのブロガーが、イベントや旅行、買い物など身の回りの出来事や家族や友人との付き合いや悩みなど、リアルに根ざしたエントリーを立てています。
それらは、アクセスも少なく、コメント欄もレスがないか、友人や家族からのものですが、そのようなブログが今後はさらに増えていくでしょう。ブログの普及は「匿名と実名」や「サイバーとリアル」論争をあっさり乗り越えていく可能性があります。「ブログ終焉」論争でも、「リアル」と言う言葉がかなり使われています。私には、この反応こそが、ブログがリアルに根ざしたコミュニティツールへ変貌を遂げようとしていることへの、リアルとサイバーを切り分けたいネットワーカーたちの反発、不安の表れではないかと思えるのです。
新聞社では、事件事故、漁業補償交渉や合併・地方自治などを取材する一方、中高生向け紙面のリニューアルを担当し、「紙」媒体の価値と限界を認識。2004年9月にブログ「ガ島通信」をスタートする。既存メディアの問題点と意識改革、新しいメディアと参加型ジャーナリズムについて議論している。

 

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