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同時とは?/ アットローン

[ 1120] アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

同時多発テロはこの項目へ転送されています。その他の用法については同時多発テロ (曖昧さ回避)をご覧ください。
航空機が激突した直後の炎上するワールドトレードセンタービル(上)航空機が突入し、炎上するペンタゴン(下)
2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州アーリントン、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系のグループによってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室を乗っ取り自ら操縦桿を握り、2機がニューヨークマンハッタン、2機がワシントンD.C.へ向かった。
なお、乗っ取られた4機のうち2機がアメリカのボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機であるが、この2種類の機体は、運行する航空会社のパイロットの互換性を持たせるためにコクピットの操縦システムが基本的に同じものが使われており、ともに2人のみで操縦できるため、あえてこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと見られている。また、ハイジャック犯達はアメリカ国内にある民間の航空学校へ行き航空機の基本的な操縦法を学んでいた上、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている。
また、これら4機がいずれもアメリカ大陸横断ルートという、アメリカ国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛ぶものであったのは、いずれも燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測された。なお、ハイジャックされ墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している。
また衝突の瞬間をフランスのテレビ局から取材に来ていた兄弟のカメラマンが偶然にも撮影。ビル近隣にある消防隊の平凡な日常を描くはずであった彼らの番組は、直ちに未曾有の事件に対峙する消防隊の活躍を記録するドキュメンタリーとなり、のちに日本を含む各国で放送された。
ボストン・ローガン空港発、ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便(ボーイング767-200・N612UA)は、乗客56名・乗員9名を乗せて、午前8時14分に遅延出発した。管制部とアメリカン航空11便のハイジャックに関する交信を交わした後、午前8時43分頃までにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様。直後にアメリカン航空11便を追うようにニューヨークへ進路を変え、午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発炎上。なお、離着陸時の事故と違い高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸は全く原形をとどめなかった。
11便の突入で多くの報道陣と見物人がビルの周りに集まっており、続く175便の突入では数多くの映像と写真が記録された。
ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発ロサンゼルス行きアメリカン航空77便(ボーイング757-200:N644AA)は、乗客58名・乗員6名を乗せて、午前8時20分に出発した。午前8時50分ごろまでにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様である。直後に向きを北向きに変え、すぐに南へ転回し、しばらくして東へ進路を変えた。最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、通信不能となった。午前9時38分にアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し爆発炎上。激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録された。また、付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって激突の瞬間が目撃された。映像によるとほぼ水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突した。離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸は殆ど原形をとどめなかった。
なお、一説によると77便はホワイトハウスに向かおうとしたが太陽の反射で前が見づらく、たまたま近くにあったペンタゴンを狙ったのではないかという説もある。
乗客の電話での通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様である。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンへ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂、あるいはホワイトハウスであったとされている。
午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪回に乗り出す。午前 10時3分、ペンシルバニア州シャンクスヴィル(ワシントンD.C.北西240kmの場所)に、時速580マイル(時速933km)もの猛スピードで墜落した。公式の調査報告書では、乗客はコクピット内に進入できず、テロリストの操縦により機体を墜落させたと結論づけている。なお、地震計のデータから墜落の時刻を午前10時6分とする説もあったが、後にこの時刻を算出した地震学者本人により撤回されている。また、93便には日本人大学生1名が搭乗しており、日本へ帰国する為にサンフランシスコへ向かっていた最中に巻き込まれた。
なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を基にした映画『ユナイテッド93』として2006年に公開された(この映画ではハイジャッカーたちに対して反撃した乗客たちがコックピットに進入して、操縦桿をハイジャッカーから奪いとって機体を上昇させる寸前であったかのように描かれているが、実際にそこまで辿り着けたかは確認されていない)。
世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受けて爆発炎上した。1機目の激突は、数日前から地元消防署の日常を取材していたフランスのテレビ局から派遣されていた兄弟によって偶然撮影(ガス漏れの通報があり出動していた消防隊に同行していた)され翌日に報道されている。この時点では多くのメディアが普通の航空機事故として報じた。1機目激突を映像で見たブッシュ大統領も事故だと考えたと発言した。
続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。2機目の激突は1機目の激突後にテレビ中継を行っていた際に発生し、日本を含む世界各国に1機目の衝突を臨時ニュースとして国際中継していた間におこった出来事であるため、前代未聞かつ衝撃的な映像を多くの人たちがリアルタイムで見る事となった(この時点で、事故ではなく故意に起こされた「事件」であることが認識された)。また、撮影クルーが多くいた為、旅客機が激突する瞬間がプロやアマチュアを問わない多くのカメラマンにて撮影されている。
ツインタワーは、ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずだった(あくまで衝突のダメージのみを換算されていたものであり、ジェット燃料の延焼による火災のダメージは換算されていなかった)。だが、実際に高速で突入した同サイズのボーイング767によってビル上部は激しく損傷、漏れ出したジェット燃料は吹き抜けを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。次いで火災の熱による鉄骨の破断でタワーは強度を失い、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。かつて世界最高を誇ったツインタワーは両棟ともに完全に崩落するという大惨事に至った。
ツインタワーは、特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われている。それは航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され炎上し、避難経路が遮断されたためである。南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができた。また、突入前の未然避難者も含めると約7割の人が生還している。ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、消防士や避難者の一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落とした(自殺及び飛び降りの項も参照)。また崩壊時の破片や煙により、ビル外でも数人が命を落としている。一方、タワー崩壊後も館内で奇跡的に生き残っていた人も数名おり、それらの人々は当日夕方に救助された。
北棟および南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上し、8時間後に敷地北隣の高層ビル・世界貿易センター7号棟もともに崩落。道路は完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた地下鉄やパストレインもトンネルの崩落で走行不能に陥った。これらのことからニューヨークでは合計で2749人が死亡するという大惨事になった。
アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)は9時38分にアメリカン航空77便(ボーイング757)の突入を受けた。大爆発が引き起こされてビルの一部は炎上し、10時10分に4階が崩壊、10時15分に1階までが全て崩壊した。77便の乗客・乗員全員が死亡するとともに189人の国防総省職員も死亡した。激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録され、すぐにFBIによって回収、調査された。
事故現場はボーイング757の機体の判別が困難なほど焼けたが、ビルの倒壊は5層になっているビル全体の1番と2番で抑えられた。また、この部分は長官執務室の反対側であり、ビルの補強工事中で普段よりも職員が少ないことが被害を抑えた。世界貿易センタービルへの突入の影響で情報は錯綜し、最初の報道は単なる爆発炎上というだけであったが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によってアメリカン航空機が北側から旋回して激突したとの目撃が証言された。
F-15はアメリカン航空11便を追跡するよう命じられたが、発進した時11便はすでに突入した後であった。管制室は途中からユナイテッド航空175便を追跡させているつもりだったが、状況の把握ができておらず、パイロットも何を追跡しているか良くわからなかった。F-15は一度ロングアイランド湾で待機するよう命じられ、ニューヨーク上空への進入を命じられたのは175便が突入した後であった。しかしF-15には旅客機攻撃の権限が無く、突入を止めることは不可能であったと考えられる(進路妨害は可能であったという指摘もある)。
ワシントンDCには、ノースカロライナ州上空で訓練していたF-16戦闘機3機が呼ばれたが、飛来したところで基地で待機するよう命じられた。3機はアメリカン航空77便を追跡するよう命じられ再度発進したが、訓練のために燃料が不足し始め、さらに2機は訓練用の模擬弾しか装備していなかった。9時30分に別のF-16が3機発進し、ワシントン近くへ飛来したが、これには攻撃用のサイドワインダーが装備され、旅客機撃墜の権限が与えられていた。しかし、結局77便に合流することは無く、9時38分にペンタゴンを攻撃された。
オハイオ州上空を飛行していたユナイテッド航空93便の近くには、積荷の搬送を行っていたC-130輸送機が飛行していたが、管制官から93便を見つけて追跡するように命じられた。C-130は93便墜落の際、17マイル離れたところにおり、墜落の様子は見ていない。また、ワシントンから実弾を搭載した1機のF-16が93便の追跡に向かったという話もある。
FAAがアメリカ中のすべての空港の閉鎖の措置を決定したのはツインタワーへの2度目の攻撃の直後からで、9時45分には全米の空港からの民間機の離陸が差し止められ、飛行中の民間機は直ちに最寄の空港へ着陸するよう通告された。
ジョージ・W・ブッシュ大統領はフロリダ州におり、小学校の授業を視察する予定であった。1機目のツインタワー攻撃の際には小学校へ向かう専用車の中にいたが、このときは事故だと考えていた。ただし、一時的にホワイトハウスとの間で電話会議が行われた。また補佐官ら周辺も同じように事故と考え、予定通り小学校へ入った。
授業視察中に2機目のツインタワー攻撃があり、補佐官から視察中のブッシュ大統領に「合衆国が攻撃されている」との報告を受けたが、ブッシュ大統領はすぐに動かずに7分間、小学生の朗読を聞いていた(この映像は後に『華氏911』などで取り上げられ、事態の深刻さを把握していなかった大統領の対応が批判された)。また、隣室に待機していたシークレットサービスらも動かなかった。朗読が終わるとブッシュ大統領は小学生を誉め、隣室で補佐官と話し、電話でライス補佐官と州知事に連絡した。その後、テレビカメラで国民へ呼びかけ、9時30分頃に小学校から出発し、3マイルのところにある空港へ向かった。エアフォース・ワンが離陸したのは9時55分である。このとき護衛の戦闘機は無かったが、このとき上空には、未だに連絡の取れない旅客機が11機あった。その後、空軍基地で事態の沈静化を待ち、夕刻にワシントンD.C.へ帰還した。
チェイニー副大統領と数人の閣僚、ライス国家安全保障担当補佐官(現国務長官)はホワイトハウスで執務を行っていた。彼らはツインタワーへの2度目の攻撃の直後、シークレットサービスにつれられて地下壕へ避難した。なお、ホワイトハウスの屋上には防空用のスティンガーミサイルが備え付けられている。その後、閣僚らがヘリコプターで避難したのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。また、チェイニー副大統領は軍事補佐官に攻撃許可を求められ、ブッシュ大統領が不在の為、乗っ取られた飛行機の撃墜を許可した。しかし決定が出たのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。
ラムズフェルド国防長官は上級軍人と朝食をとった後、ペンタゴンの執務室へ入って議員と懇談していた。彼にツインタワー「攻撃」の知らせが入ったのは、ペンタゴン攻撃のわずか2分前であり、アメリカン航空77便がワシントンに向かっていることは知らなかった。また、平時のペンタゴンにはホワイトハウスのような防空装備が無い。攻撃の後、ラムズフェルド国防長官が建物の外へ出ると女性職員が血を流して倒れていた為、彼女を抱えて避難し、救急車が来るまで看病していた。現場から避難したのはその後で、数十分が経過していた。
パウエル国務長官は南アメリカのペルーを訪問中であったが、ツインタワーおよびペンタゴンへの攻撃の報告を聞いてすぐに帰国した。
ロシア連邦のプーチン大統領は、この一報に対し「アメリカ合衆国軍が必要な動員をかけたとしても、直ちにロシア連邦軍に迎撃体制を取らせることはない」とホットラインでブッシュ大統領に告げた。ロシア連邦軍にはソビエト連邦軍時代のオプションが継承されているため、通常、アメリカ軍が大規模な動員をかけるとそれに反応する様に指揮系統が準備されている(逆も同じ)。
同時多発テロ事件の映像はテレビ、ラジオ、インターネットを通じて全世界にリアルタイムで伝えられた。新聞や週刊誌なども大きく事件を伝えた。事件は世界に大きな衝撃を与えたが、その理由の一つが報道にあったことは疑いない。
ニューヨーク時間(米国東部夏時間)8時46分、アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に突入した。このころ各全国ネット局では朝のニュースショーを放送していた。CNNは8時49分から、ABC、CBSなど他のテレビ局も8時50分前後から特別報道番組を開始した。世界貿易センターのそびえ立つロウアー・マンハッタン方面を向く情報カメラや、マンハッタン上空あるいは隣のニュージャージー州上空を飛ぶ報道ヘリコプターが事件の様子を伝え始めた。推移を見守っていた矢先の9時3分、1機目突入から18分後、南棟にユナイテッド航空175便が突入した。こうしてネットワークやニュース専門放送局では特別体制を敷いての放送により、事件の推移を映し続けることになった。
9時30分、フロリダ州サラソータの小学校を訪問していたブッシュ大統領は最初の演説を行った。その後サラソータを飛び立つエアフォース・ワンの映像も伝えられたが、目的地は不明確なままであった。そうした中、9時37分にアメリカン航空77便がペンタゴンに墜落した。
そのころ、ハイジャックされたユナイテッド航空93便の乗客・客室乗務員は地上にいる家族などに電話をかけ始めていた。すでに全米のテレビは事件報道一色となっており、その映像を見た何人かが電話を通じ、93便上にいる乗客などにニューヨーク・ワシントンで起きている事件の模様を伝えた。乗客たちはこうした情報を入手したことでハイジャックが自爆攻撃の一環であると悟り、93便の奪還を図ったものと考えられている。
アメリカのテレビはその後、世界貿易センタービルが次々に崩落する瞬間を中継し(南棟9時59分、北棟10時28分)、さらに93便がペンシルベニア州に墜落したと伝えた(10時3分墜落。報道は30分以上後)。一連の事件は衛星を通じて世界中のテレビに同時中継された。テロ報道は日曜深夜まで休むことなく、CMもなしで放送し続けた。特にネットワーク3局の夕方ニュースのアンカーは最長で1日17時間に渡って伝え続けた。特にこの週は新番組が始まる時期だったので、軒並み放送が順延され、内容変更を強いられた番組もあった。日本やヨーロッパ諸国でも同様の特別報道がなされた。また、アメリカ国内に本部を置くCNBC(ヨーロッパ/アジア向け)やCNNインターナショナルにて、本来あまり放送されないアメリカ国内向けの放送を全編放送し続けた。
以下、日本における報道については日本時間を使用する。現地時間(米国東部夏時間)は、日本時間から13時間を引いて算出していただきたい。
2001年9月11日は台風15号と台風16号が関東地方と沖縄を襲い、多くの被害をもたらしたため、テロ発生までのニュース番組はこの話題一色となっていた。しかし22時ごろ、「ニューヨーク・世界貿易センタービルに航空機が激突(1機目のアメリカン航空11便)」という情報が、各局のニュース番組またはニュース速報で伝えられ始めた。NHKニュース10(NHK総合)でも、冒頭のヘッドラインは台風の話題だった。しかし、カメラの前に登場したキャスターが発した最初のニュースは台風ではなく、このテロの第一報だった。
第一報を伝えるニュースの画面に映し出されたのは「炎上するビル」の映像であり、「事故」なのか「事件」なのか判然としないものだった。1機目激突の瞬間を捉えた報道機関のカメラはなく、一市民であるフランス人カメラマンが撮影した映像はかなり時間が経つまで放送されなかった。ただ、NHKニュース10に出演していたコメンテーターは、晴天時での不可思議な激突状況からか2機目突入前からテロの可能性を指摘していた。CNNでも同じような理由からテロの可能性が指摘されていたが、同時に、1945年7月28日にエンパイアステートビルにアメリカ陸軍のB-25爆撃機が衝突した事故を例に挙げ、操縦ミスによる突発的な事故である可能性も取りざたされていた(なお、1945年の事故のときは深い霧が出ていた)。
しかし、直後の22時3分、2機目のユナイテッド航空175便がツインタワーのもう一つ(南棟)に突入。生放送を行っていたNHKニュース10では、この瞬間が生中継された。NHKの映像では、画面右側から飛行機が現れ、燃え上がる北棟の真後ろに隠れるように見えた。北棟の真後ろには南棟があった。数秒の後、南棟を襲った巨大な爆発によって炎と黒煙が上がる様子が映し出された。南棟が北棟に隠れていたため画面を通して見れば1機目の激突で炎上する北棟が2度目の大爆発を起こしたように見え、NHKの支局の報道者は単に「今、また爆発がありました」と伝えた。アナウンサーは「あっ!今、2機目の飛行機が突入したように見えましたが!?」と聞き返した。この映像は数日の間、何度となく繰り返された。ニュースステーションではCNNの映像をそのまま放送しており、1機目激突後の時点ではまだ事故と考えられていたため、ニュースステーションでは1機目の激突により炎上する北棟の映像を暫く流した後、台風関連のニュースを伝えていた。この間に2機目の突入が起こったため、突入の瞬間は生で放映されなかった。しかしすぐに再びWTC関連のニュースに切り替えられた。
22時20分頃、NHKは「旅客機がビルに激突したと見られる」と伝えた。22時30分、フロリダ州の小学校を訪れていたブッシュ大統領が記者会見で「明らかなテロ」と発言した。22時45分頃、「ペンタゴン(国防総省)が炎上」というニュースが各局で伝えられ、ニューヨークとワシントンの一連の事件は「同時多発テロ」であるとの見方が固まった。間もなく炎上するペンタゴンの映像も放送され、爆発・火災の原因が3機目の旅客機の可能性があると伝えられた。旅客機がハイジャックされていたという現地メディアの報道も国内に伝えられ始めた。
各ニュース番組では、2つの台風や、前日の千葉県における狂牛病疑惑の牛発見など、放送予定だった他のニュースを差し置いて、ニューヨーク・ワシントンとの中継映像が放送され続けた。時間(事件の拡大)とともに民放各社も次々に通常番組を打ち切り、臨時ニュースを開始した。TBSは22時37分、放送中のジャングルTVの途中から筑紫哲也のニュース23を前倒しで開始。フジテレビではドラマウソコイ最終回を放送中だったが、番組の途中でニュースを何度か流した後、ドラマ終了直前から報道特番を開始した。
23時過ぎ、世界貿易センタービルの一つが崩壊したとの情報が入り(南棟)、23時半過ぎにはビルの両方が崩壊したとの情報が入った(北棟)。NHKではどちらもワシントンと中継を結んでいる間に崩壊が起こり、崩壊の映像は中継されなかった。しかし間もなく、巨大な超高層ビルが次々に崩壊し、膨大な瓦礫と化してマンハッタン南部が炎と煙で覆われるという衝撃的な映像が全国に報道された。さらに23時40分頃、4機目(ユナイテッド航空93便)がペンシルベニア州西部に墜落したというニュースが入った。NHKのアナウンサーは次々と起こる惨劇を報道する中で「これは現実の映像です。」という日常では考えられない言葉を発するほどであった。
翌9月12日の午前6時25分、世界貿易センターの第7ビルが崩壊した。8時30分ごろ、日本人の大学生1人がユナイテッド航空93便に搭乗していたという情報が入った。9時30分からブッシュ大統領がホワイトハウスで行った演説が中継され、10時20分から小泉首相、福田康夫官房長官が首相官邸で記者会見を開始した。午後1時50分ごろ、1機目激突の瞬間を撮影したフランス人カメラマンの映像が放送された。こうしてこの日もほとんどテロ事件関連ニュース一色となった。夜のゴールデンタイム枠ではお笑い・バラエティ番組が休止され、特別番組が放送(TBSのナイター中継は通常時間より1時間短縮放送し、特別番組を放送)された。
テレビでは事件から1週間ほどは通常番組を削って特別報道番組を組む局もあった。また、ビルが破壊されるシーンのあるパニック映画などが自粛されたり、音楽シーンにおいても、鬼束ちひろが事件の4日前に発表した楽曲「infection」がテロを予見しているかのような歌詞の内容であるとしてプロモーション活動を自粛するなど影響が出た。新聞各紙も大見出しで事件を伝え、号外も発行された。多くの週刊誌も最大級の扱いで事件を伝えた。
「同時多発テロ」と呼ばれるようにテロ行為は短時間に連続発生し、[2]その規模・被害は当時の社会において、従来型の「テロ」や「犯罪」の概念をはるかに上回るほどの凄まじさだった。そのため情報が錯綜して正確な情報をつかめない状況が続いた。事件発生直後の数時間(場合によっては数日間)、次に挙げるような誤報も放送された。以下は当日・翌日の日本の各新聞・テレビ報道で確認された誤報の一部である。日本の多くの新聞は訂正が締切時間に間に合わず、翌12日の朝刊にいくつかの誤報記事を載せてしまうこととなった。
11機の旅客機がハイジャックされ、数機が行方不明(誤報。4機以外にハイジャック機は存在しない。全米に飛行禁止令が出された後も連絡が行き届かず、飛行を続けていた航空機が11機存在したことによる。ユナイテッド93でも描写されている)
ハイジャック機がキャンプ・デービッドに向かっている。その後の報道でキャンプ・デービッドに墜落した(誤報)
これらの状況はアメリカでも同様で、最初は激突した航空機も大型ジェット旅客機ではなく小型民間機(単発小型プロペラ機など)と報道されていた。
テレビでは事件発生直後から、ありとあらゆる方向から記録された映像が何十回、何百回となく繰り返し放映された。その映像を映画のようだと評する者も多かったが、映画批評家からは、臨場感のなさ、機内状況の欠如、同一の映像の反復という点において、映画というよりも、やはり、テレビ的というべきものだと反論があった。何れにせよ数千人が殺害された事件の映像であり、遺族や関係者、さらには子どもにショックを与える可能性があるとされ、次第に自粛を要請する声が上がった。
事件後の新聞各紙や週刊誌などには、ビルが炎上・崩壊する写真のみならず、血まみれでうずくまる市民やビルの上層階から飛び降りる人の写真などが大きく掲載された。アメリカでは後者の写真をめぐって論争が起こった。アメリカ最大の宗教であるキリスト教は自殺を禁じているからである。2006年にイギリスで製作されたドキュメンタリー「フォーリング・マン」は、この論争を取り扱ったものである。
2006年に公開された映画「ユナイテッド93」や「ワールド・トレード・センター (映画) 」でも、事件を伝えるテレビ局の映像が使われている。なお「ユナイテッド93」では当時の様子を極力再現するため、情報伝達の混乱や誤りなどがそのまま伝えられている。
この無差別テロ事件の犠牲者は、すべての死者を合計すると2973人とされている。内訳はハイジャックされた4機の旅客機の乗員・乗客が246人、アメリカ国防省で125人。世界貿易センタービルで2602人とされている(あくまで「確認された人数」ということであり、実際には多少の誤差があると言われている)。
このうち世界貿易センタービルではニューヨーク市消防局の消防士343人、ニューヨーク市警察の警察官23人、ニューヨーク港湾管理委員会の職員37人が含まれている。
このほかにも世界貿易センタービルではこの事件の被害者と思われる24人の行方不明者がいる。なお、ビルの残骸に含まれていたと考えられる約1100人の遺体は最後まで発見できなかった。遺体はもちろんあらゆるものが、粉々に破壊されて散乱した。近隣のビルの屋上で発見された遺体の破片もある。ハイジャックされた機体のひとつにはナショナル・ジオグラフィック誌の記者と写真家、彼らと同行していた子供たちが乗っていたとされている。
現場はビルの鉄骨に吹き付けられていた石綿やコンピュータや蛍光灯からの水銀等の危険な粉塵も含まれていて、救難活動を行った犬が次々に死に、肺に障害を訴える人が次々に出ているにも拘らず、アメリカ政府はそれを否定し、EPAは「空気は安全」と報知したことから、いち早くウォールストリートを開けるのを優先したのではないかという意見もある。
ブッシュ大統領は速やかに非常事態を宣言した。世界貿易センタービルやペンタゴンへの攻撃がなされた後しばらくの間は、さらなるテロに備えて、州兵、予備役が動員された。空港などには厳戒態勢が敷かれ、全ての国境が閉鎖された。また、アメリカ国内を飛んでいた民間機は全て最寄の空港に下ろされ、多くの外国人がアメリカ国内に足止めされた。これらの措置は数日間続いた上、この措置が行われた地域はアメリカ本土のみならず、アメリカが航空管制を担当しているグアムやパラオ周辺などの南太平洋の一部地域や、北大西洋の一部地域など広範囲に及んだ。
このテロが航空機を用いたものであったことから、事件後は航空機の利用が一時的に激減し、世界中の航空会社が大きな打撃を受けることとなり、スイス航空やアンセット・オーストラリア航空、事件の当事者となったユナイテッド航空など、航空会社の破産、倒産も世界中で相次いだ。
この事件においては、ハイジャック犯の機器操作ミス(犯人側は乗客に向けて、機内放送をするつもりだったと見られるが、機内放送用のスイッチではなく、管制塔とのやり取り用の無線スイッチを押していた)によってコックピット内の会話が管制室に入るようになり、アラビア語を話していることから、おそらくはアラブ人が犯人であることが早期に推測できた。また、客室乗務員は機内電話を使用して会社へハイジャックを報告し、犯人の特徴、人数と座席番号を伝えた。このため、航空会社は犯人の氏名、住所、電話番号からクレジットカードの使用履歴までを把握することが可能となった。また、数名の乗客も手持ちの携帯電話や機内電話で家族や友人にハイジャックの事実を伝えた。これらの電話の会話は殆どが機体の破壊まで続いた。この内いくつかの会話は録音されており、事件調査に利用された。
アメリカ合衆国政府はこれらの捜査の結果から、このテロ攻撃がオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織アルカーイダによって計画・実行されたと断定、彼らが潜伏するアフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求した。しかし、彼らを保護していたターリバーン側は拒否。これに対してアメリカ合衆国軍はアフガニスタンに対し、攻撃を開始した。
この事件がアメリカ国民に与えた衝撃は当然大きかった。冷戦終結後、世界で唯一の軍事超大国としての絶対的な存在感を有していたアメリカが、他国から攻撃を受けることについて、アメリカ国民は強い衝撃を受けた。またアメリカがこれほどの衝撃のある武力攻撃を受けたのは、真珠湾攻撃以来であることを強調する論評も見られた。世界一の超大国であるアメリカが、特定のテロリストグループないしはそれを支持する国からは、そこまでの嫌悪感を持って見られるということを、アメリカ国民は否応無く突きつけられ、余計に打ちひしがれることとなった。
その様な中、テロに対する報復は憎しみの連鎖を引き起こすだけだと、冷静さを取り戻し報復へ走らないようにすることを強調する人々もおり、アメリカ政府による報復攻撃を危惧する多くのミュージシャンは報復攻撃が行われていない時点で反戦のイベントを開催した。
喪失感が充溢する中でアメリカ国民は、求心力を愛国的な意識を共有することに求め、速やかな報復を肯定する世論が形成されていった。具体的な物的証拠が挙げられないうちから、CNNなどのアメリカの大手マスコミなどにおいても、イスラム原理主義を信奉するアラブ系人種によるテロ説が唱えられ(同じような事は、ミリシアによるオクラホマシティの連邦ビル爆破テロや、大韓航空機爆破事件、オウム真理教による東京の地下鉄サリン事件の際にも発生した)、流言に乗った市民によるアラブ系住民の暴行事件が多発、アラブ系男性が射殺される惨事にまで発展した。これに対し、アラブ系アメリカ人には「Arabic Americans support U.S.(アラブ系アメリカ人は合衆国を支持する)」などと書いたと横断幕を自家用車に掲げ、アメリカの味方であることをアピールした者もいた。事件発生直後のテレビ報道の中で、中東系の人々が勝ち誇ったように興奮する映像が流されるなど(本テロ攻撃との関係は全く不明)、いわゆる国家的陰謀論に結びつくような偏った報道が事件直後から行われていたとする説もある。
(大統領時代にはビンラディンを脅威と考えていた)前大統領であるビル・クリントンは、同時多発テロ事件を見て、それが直ちにビンラディンによるものだろうと考えたと後に述べており、方法はともかくとしても、アメリカに対するイスラム原理主義勢力によるテロ攻撃の可能性は以前から意識されていたものである。
炎上する世界貿易センターに取り残された人々を救出すべく命がけでビルに突入し、ビルの崩壊で命を落とした警官隊や消防隊員に対してその勇気と献身的態度を賞賛する声がアメリカのみならず世界中から寄せられ、その遺族に対する募金や手紙も世界各国から寄せられた。また、同じような賞賛は有毒物質が散乱する事件現場で遺体や遺留品の捜索を行った作業員たちにも同様に寄せられた。この様な中で、ニューヨークに在住している日本のミュージシャンの坂本龍一は、「再度テロ攻撃が起きた際に逃げられるように(高級SUVの)レンジローバーを買った」と雑誌内で発言し批判を浴びた。
テロ以降、ニューヨークでは数々のアトラクションが、市民感情およびセキュリティ上から興行中止となった。しかし、ブロードウェイのミュージカルやメジャーリーグは程なくして再開し、打ちひしがれたアメリカ国民の心を慰めた。
ビートルズ「涙の乗車券」・「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」・「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」・「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」
映画関連ではアメリカ国内や同盟国では、ニューヨークを舞台にしたりテロをモチーフにした映画は「被害者に不謹慎」として公開を延長、または自粛する作品が相次いだ。日本でも2001年9月14日・「金曜ロードショー」で『ダイハード3』が放送予定だったが自粛され、その他の映画も自粛された。
テロ攻撃の後、アメリカ人の多くが民間航空機による移動を避けて自家用車による移動を選択したために、同年の10月から12月までのアメリカにおける自動車事故による死者の数は前年比で約1000人増加した。また、アムトラックやグレイハウンドなどの、民間航空機以外の中長距離交通機関やレンタカーの利用者も急増した。
事件直前、ジョージ・W・ブッシュ大統領の支持率は、50%を切っていた。そもそも、前年の大統領選挙は僅差での勝利であるために、また大統領選における大規模な混乱は選挙の正当性への議論を招いたことから、選挙直後から政権支持率は高くなかった。大統領就任後の初めての大きな事件としてその指導力が国民の注目を浴びることとなり、それがテロとの戦争として位置づけられたことから、事件直後には国民の支持率は9割に到達、いみじくも政権最初の年から国民の支持を得た形となった。
このテロに対する国際的な反発は大きかった。国連は9月12日にテロ非難決議を採択。北大西洋条約機構 (NATO) とロシアは、「国際社会が結束してテロと戦うべき」という共同声明を発表した。また、欧米諸国だけではなく、日本やサウジアラビア、インドなどのアジア諸国もアメリカ合衆国を支持し、1980年代にパンアメリカン航空機に対するテロを支援した過去のあるリビアや、タリバーンの公然たる後援者であったパキスタン、在イランアメリカ大使館占拠事件以来アメリカとは犬猿の仲であるイランでさえ犯人グループを非難し、アメリカ合衆国に対する支援に同意した(但し、アメリカ合衆国はこの後、後述するようにアフガニスタン、イラクに侵攻するが、これが中東の反米感情を刺激したことを原因として2007年にはイランがイラク国内の過激派に武器を供与している疑いがあると報道された)。
2006年11月14日、ベネズエラの国会は、アメリカ大統領に呼びかける決議案を満場一致で採択した。メキシコ国境における壁の建設を激しく攻撃し、第4章で、「イスラム・テロとの戦争」の根拠となった2001年9月11日の事件について『ブッシュ政権が、ワールド・トレード・センターとその犠牲者に対する自爆テロに関し、またペンタゴンに激突したとされる航空機についての明確な釈明、およびビンラディンとブッシュ家との関係を提示するよう強く』[1]要求している。
ブッシュ政権は、このテロ事件後のアメリカ合衆国世論の変化に合わせて、2002年に国際テロ組織とテロ支援国と断じた悪の枢軸(イラク、イラン、北朝鮮)との戦いを国家戦略とし、「アメリカの防衛のためには、予防的な措置と時には先制攻撃が必要」として推進する方針を決めた。これをもとに、アメリカ合衆国はイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争に踏み切った。
この行動に対しては、アフガニスタン(=ターリバーン政権)攻撃と異なり、国際的な態度は分かれ、イギリスや日本、フィリピンやスペイン、イタリアなどのアメリカ同調国と、フランスやドイツ、ロシア、中華人民共和国などのアメリカ非同調の立場に分かれた。
その後の2004年10月、アメリカ政府調査団は「開戦時にはイラク国内に大量破壊兵器は存在せず、具体的開発計画もなかった」と結論づけた最終報告書を米議会に提出。2006年9月には、アメリカ上院情報特別委員会が「旧フセイン政権とアルカイダの関係を裏付ける証拠はない」との報告書を公表しており、開戦の正当性が根底から揺らぐ結果となっている。
またブッシュ大統領は、イラク戦争後の2004年に中東首脳を招いて会談を開き、サウジアラビアやシリアの様に王制や独裁が色濃い中東各国がテロの温床になっているとして、これらの国々を民主化すると宣言し、中東各国は“それぞれの国情を無視しアメリカ式を押し付けるもの”と強く反発した。アメリカは中東民主化を今後の外交の方針に掲げるとしているが、この様な強権的なやり方には中東諸国のみならず、多くの国から批判が集中している。
さらに、「アメリカがアメリカであり続ける為に必要」として、「愛国者法(反テロ法)」を制定、2005年7月には暫定法であった同法を恒久化。市民のプライバシーを大幅に制限、公安活動の用に供するとして、また12月には、国家安全保障局の行なう不法な盗聴を大統領権限で事実上黙認していた事、2006年5月には、“テロリスト関係者、またはそれらと少しでも接触のあった外国人”をアメリカ入国の際に令状抜きで不法に連行・収監(=拉致)、自白を取る為の拷問がCIAとFBIによって行なわれていた事が明らかになるなど、全体主義化傾向が国内のリベラリスト・市民団体から批判されている。
世界貿易センターの跡地については、遺族から慰霊の場としてほしいという意見もあった。しかし多くのオフィススペースを失ったためにニューヨークから企業が流出することを恐れた市当局や、跡地を所有してきたニューヨーク・ニュージャージー港湾局らは、金融街に近くビジネス街の一等地であるこの場所に新たなオフィスビル・商業施設と交通ターミナルの再建を希望した。当初の再建案はあまりにも経済復興の色が強く遺族の反対で撤回され、改めて世界の建築家を集めて行われた建築設計競技の結果、アメリカ人建築家ダニエル・リベスキンドの案が採用された。
2004年7月、世界貿易センタービル跡地に再びビルを建設するための起工式が行われた。敷地内には旧南棟・北棟跡の祈念スペースを囲むように数本の超高層ビルが建ち、最も高いビルは「フリーダム・タワー(自由の塔)」と名づけられ、アメリカの独立した1776年にちなんで、1776フィート(約541メートル)の高さとなる。これが完成すればアメリカ合衆国内では最も高い建造物となる。2010年完成予定。周囲にはタワー2、タワー3、タワー4、タワー5が建つ予定。
一方、世界貿易センタービルの残骸には、発見されない相当数の遺体が含まれると思われた。遺体はDNAすら判別できないほどに傷んでいると思われるが、遺族は取り扱いに非常に神経を尖らせていたため、残骸は廃棄することができず、ごみ処分場に大量に放置されている状態であった。しかし、2005年3月初め、当局はおよそ1100人分の身元が判明できないまま確認作業を中止すると発表した。鉄骨類は屑鉄として再利用のためインドへと輸出された。
9・11テロは、アメリカ政治および国際社会の大きな転換点となった。それまで「アメリカ国民の記憶に残る日」は1963年11月22日のジョン・F・ケネディ暗殺であったが、それはこの日をもって終わり、代わってアメリカ国民はこの2001年9月11日を永遠に記憶にとどめることになった。アメリカ国内の世論は急速に保守化し、ネオコン(新保守主義)勢力が政治の舞台に全面的に登場。その影響力を増大させたきっかけともなった。 その後、アメリカによるテロ支援国家への攻撃には国民の大半が賛同した。議会でも野党民主党が共和党のタカ派路線を容認する動きが目立った。事件直後、ブッシュ政権が9・11へのイラクの関与をほのめかし、過剰なマスコミ報道によりそれが増幅された為国民の間にイラクとサダム・フセインに対する敵愾心が増大し、2年後のイラク戦争の呼び水となったと言われる。その後、独立調査委員会の調査でイラクの関与がハッキリと否定され、ブッシュ大統領自身もそれを認めたにも関わらず、2005年3月の世論調査では、米国民の約60%が「イラクはアルカイダを支援していたと思う」と答えている。
親米的な意見(アメリカの主張)としては、これを基に世界中の独裁国家の民主化をすすめるべきだという意見などがある。特にブッシュ大統領が悪の枢軸としたイラク・イラン・北朝鮮などで非民主的体制が猛威を奮っているとされる状況で、これを解決するべきだとの声もある。その後のアメリカの対応を見ると、イラクやイランに対しては強硬姿勢に出るものの、北朝鮮やリビア、サウジアラビアに対しては様々な事情(アメリカの同盟国への軍事的影響力、石油利権など)から強硬姿勢を持たないなど、二重基準と批判する対応が目立つ。
反米リベラル的な意見としては、「自由の国アメリカ」のシステムを国外に普及させることを使命とするネオコン勢力の拡大は、政府の好戦的姿勢に反対する意見を言えない雰囲気を作り出しているとする声もあり、リバタリアニズムなど反ネオコン陣営からの反発も高まっている上に、アメリカ国内でさえ破綻しかけているアメリカ的価値観・システムの押し売りであると言う反発が多い。
またこの事件をきっかけに、アメリカは国連協調をなくして一国独走主義の時代になったり、冷戦時代の米ソ対立の構図の残滓も消え、世界の軸は突出した超大国一国によって動かされる(ジョン・ボルトンの国連軽視発言)時代になったとする意見もあり、これを「アメリカ帝国」と表現するアントニオ・ネグリ、マイケル・ハートのような思想家などもいる。
なお軍事的には、戦争をこれまでの国家レベルの紛争から、ある結びつきによる国なき民間軍事組織と国家との紛争という新たな形として、提示されたことに意義がある。
事件後のアフガニスタン攻撃に伴う対アフガニスタン人道援助・資金援助は、アフガニスタンとの国交を唯一保ったパキスタンが窓口となった。アフガニスタン向け援助は、その10-80%がアフガニスタンに届く前にパキスタンにおいて横流しされ、イスラム原理主義者を勢いづかせたのではないか、という意見もある。
なお、事件後にアメリカを中心に行われたイラクへの侵攻に同調し派兵を行ったイギリスやスペインでは、この派兵に反対するイスラム過激派と見られる集団による一般市民を狙ったテロ事件が発生し、多くの人命が失われた。また、アメリカ主導で行われたイラク侵攻に同調し派兵することに対して、上記のようにこれらの国の内部で国民の意見が二分した。
その結果スペインでは、2004年3月のマドリードにおける列車爆破テロ事件後に行われた選挙で、アメリカへの支持と派兵を決定したホセ・マリア・アスナール首相率いる国民党が敗退し、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ率いるスペイン社会労働党に政権が交代した。
同じくアメリカへの支持と派兵を打ち出して以降人気が急落していたイギリスのトニー・ブレア首相が任期途中で退陣することを発表するなど、アメリカへの支持と派兵はこれらの国における政権交代のきっかけを作ることとなった。
一方、取引中だったヨーロッパではCNNやCNBCを通じて事態が明らかになるとすべての取引所で株価の全面安が起きる。明くる12日の東京市場の日経平均株価は680円以上の下落となった。これは一部で「9・11ショック」とも報道されていた。その後多くの国においては株価の低迷が暫くの間続くこととなる。
この事件には「アメリカ政府の自作自演である」、「ジョージ・W・ブッシュ個人とその一族がオサマ・ビンラディンと繋がっており共謀した」とする陰謀論が一部で盛り上がりを見せており、それらを支持する立場のジャーナリストや研究者による様々な著作も発刊されている。
この様な動きに対して、アメリカの報道機関においても「アメリカ国内で『陰謀説』が再燃の兆し」と報じられたこともあり[2](CNN)、またアメリカ国外でも日本、韓国、欧州などでこれらの説を紹介するテレビ番組が放送されたことがある。
ディック・チェイニー副大統領は「9.11とアルカイダの関係性を示す証拠を持っている」と公式に発言したが、2007年現在も未だにそれは提示されていない。また世論調査によっては「アメリカ政府が中東派兵の口実の為に、事件をサポートしたか、あるいは意図的に阻止しなかったと思う」との回答が、アメリカ国民の1/3以上に上っているものもある[3]。
この記事の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。
爆発の映像を写した写真にUFOのような物体が写っている、というもの。事件を宇宙人と結びつける主張まである。[要出典]
ノストラダムス予言集のいくつかの詩篇で予言されていたとするもの(どの詩篇と結び付けるかは論者によって異なる)。また、インターネット上では捏造された詩篇も複数出回った[3]。
この事件に関連したありとあらゆる文字や数字を足すと11という数字が浮かび上がる(例、ツインタワーの形は数字の11に見える、激突した飛行機が11便である、など)という説。実際には11以外の数は、いくらでも挙げられる。[要出典]
「世界貿易センタービルの住所である「Q33NY」をウィンドウズのフォント「Wingdings」で絵文字化すると飛行機とその先に二つのビル、そして死を象徴するドクロ、ユダヤの象徴であるダビデの星が浮かび上がる」とする噂[4] 。事件当時、チェーンメールなどでインターネットを通じ広がった。実際には、ビルとされる形は書類を示す絵文字である。そもそも「Q33NY」は世界貿易センタービルの住所ではない。“N”のドクロと“Q”の飛行機、“3”の書類を見て誰かが考案した説だと思われる。ビルの住所のかわりに、ハイジャックされた飛行機の便名やバス停の名前とするバージョンもある。[4]
テロ前夜から突入にかけて、貿易センタービルにデータセンターを持つクレジットカード会社のカード利用額が、明らかに異常な水準に急増したとするもの(多くのクレジットの利用情報が消失したことは事実であるが)。これに基づき、「少なくない人がテロを予め知っていたという証拠だ」とする噂がある[要出典] 。
日本の漫画家である荒木飛呂彦が著作『ジョジョの奇妙な冒険』内で同時多発テロを予知していたという噂。問題のシーンはジャンプコミックス20巻収録「クヌム神のオインゴ トト神のボインゴ」の予知能力を持つ漫画のスタンド「トト神」が、ある男の死を予知した場面である。死んだ男の服に「911」と書かれていること、背景に飛行機と、イスラームを連想させる月が描かれていること、男の死亡時刻が10時30分と貿易センタービル北棟の崩壊時刻に一致すること、そしてトト神自身も予言のスタンドであることなどからブログ等を中心に広がった[要出典] 。
同じく日本の漫画家である高屋良樹の漫画『強殖装甲ガイバー』内でも、事件に類似した描写がある。角川書店版16巻収録「その名は“解き離たれし獣”」で、レジスタンスによるワシントン米第3調整施設への襲撃のシーンである。この作品の世界は「悪の秘密結社」に支配されており、ワシントンの施設は彼らによって旧ペンタゴンの跡地に建設された施設であった。また、同じく角川書店版16巻収録「激震!! ワシントンDC」でのピラーズ・オフ・ヘブン(この世界での世界最大の統制局舎。全長1102メートル)での3つのビルが建っている1つが「へし折られ」、さらに倒壊したビルによって半径2キロメートル以内は壊滅状態となるという描写がある。「アメリカ」「ペンタゴン」「レジスタンス」(テロリストを連想させる)「象徴的なビルの破壊」「二次災害」などが描写されていることから、類似性が高いとされる。本作が雑誌に掲載されたのは事件の2年前の1999年であった。
^ 国際政治学・安全保障政策の研究者である宮坂直史は著書(『日本はテロを防げるか』ちくま新書)の中で、テロは複数箇所で同時に行われることが多いことから「アメリカ同時多発テロ」を固有名詞として用いることには違和感を覚える、と指摘している。
名探偵コナン 天国へのカウントダウン - ツインタワービルでの爆破事件を題材にしたアニメ映画。事件の半年前に公開されたものであり、ビルもWTCとは一切関係ないが、しばしばこの事件を参考にしたのではないかと誤解される。

 

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