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原則とは?/ アットローン

[ 603] 非核三原則 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E6%A0%B8%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87

60年安保改定を控えた岸内閣の頃から日本の核政策が議論されるようになった。背景には米ソ冷戦と冷戦時代の核競争がある。
1957年5月7日の参議院で、岸信介総理は「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」と答弁し、5月15日[2]政府の統一見解として「原水爆を中心とする核兵器は自衛権の範囲に入らないが、将来開発されるものなどをことごとく憲法違反とするのはいきすぎである」と表明。59年3月2日の参議院予算委員会でも「防衛用小型核兵器は合憲である」との判断を明らかにしていた。
1967年12月11日の衆議院予算委員会において日本社会党委員長の成田知巳が、アメリカ合衆国から返還の決まった小笠原諸島へ核兵器を再び持ち込むことへの可能性について政府に対して質問した際、佐藤栄作内閣総理大臣が、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という三原則を示した[3]。佐藤栄作は、翌1968年1月30日の施政方針演説においても、この三原則を含めた核政策の4本柱を表明(非核三原則、核廃絶・核軍縮、米の核抑止力依存、核エネルギーの平和利用)[4]。
その後、返還後の沖縄においても同原則が適用されるのかという問題に関して三木武夫外務大臣は当然適用されると主張したのに対し、返還交渉がこじれる事を危惧した佐藤栄作が三木発言を非難するなどの紆余曲折があった[5]。佐藤栄作は、最終的に沖縄にも適用させるべきという決断を下している。これを受けた沖縄返還協定の付帯決議として1971年11月24日の衆議院本会議決議として「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」[6]がなされた。1972年10月9日の閣議で核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存すると決定。
法律ではないため、この三原則自体に法的な拘束力はないが「核兵器を持たず、作らず」の日本独自の核保有に関する2項目については、1955年に締結された日米原子力協力協定や、それを受けた国内法の原子力基本法および、国際原子力機関(IAEA)、核拡散防止条約(NPT)等の批准で法的に禁止されている。
佐藤内閣以降の歴代の内閣総理大臣は、施政方針演説等において[7]この三原則を遵守することを表明[8]している 。
衆議院において非核三原則を遵守する旨の決議がおこなわれているが、実際に守られているかどうかは疑わしい点が多い。実際、「持ち込ませず」に関しては、ジーン・ラロック国防情報センター所長(退役海軍少将)の証言、ライシャワー駐日大使の発言など、それに反することを過去の日本政府がおこなったとする証拠もあるとされる。
アメリカは、自国艦船の核兵器の搭載について「肯定も否定もしない」という原則を堅持しているが、日本に寄港する米軍艦船が核兵器を保有していないとは軍事の常識としてあり得ないとされる(上述。ラロック証言より)。これについて日本政府は「事前協議がないのだから、核もないはず」としているが、これは逆に「協議を申し出るか否かは米軍の自由であり、協議抜きで内密に持ち込む」可能性をも物語っている。
また、反核政策により核兵器を搭載していると思わしきアメリカ艦艇の寄港を拒否したニュージーランドは、その際に、日本を出港したアメリカ艦艇がそのままニュージーランドへ寄港を希望した場合の対処について、苦慮したと言われる(現在までそのような問題は生じていない)。
2006年10月、北朝鮮の核実験を受け、一部で日本の核武装論が再燃するなか、TV討論番組サンデープロジェクトにおいて中川昭一自民党政調会長が核武装論を肯定する発言をしたということに対して非難が集中した。しかし、本人が発言したのは核に対する“議論”であって核武装を肯定したわけではなく、麻生太郎外務大臣などは、“核保有及び武装の論議自体をも許さないかのような状態は、憲法の保障する言論の自由を奪っている”として、議論自体は認められるべきとの見解を示している。中川(昭)政調会長も麻生外相も、議論はすべきといっているが、すぐ核武装すべしという立場ではない。官邸は、沈静化のために安倍晋三総理や塩崎恭久官房長官らが非核三原則の厳守を強調する一方で、2006年11月14日に核保有についての鈴木宗男の質問主意書[9]に対して、「政府としては、非核三原則の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との答弁書[10]を出した。2002年2月、早稲田大学での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で、安倍晋三は「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」と、発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と報道の間違いを指摘し、政府の“政策”としては非核三原則により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した岸内閣の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明[11]した。安倍内閣の政府答弁書はかつての安倍の発言や国会答弁を踏襲するものである。
^ 2002年5月30日、福田康夫内閣官房長官がオフレコとして「非核三原則は、国際情勢が変化したり、国民世論が変化したり、国民世論が核をもつべきだとなれば、変わることがあるかもしれない」「核兵器は理屈から言って持てる」「政策判断として持つのはやめるというのが非核三原則」という歴代内閣の流れを覆すかの様な発言をして物議を醸した。なお石原慎太郎がこの時に激励の電話を入れた上で『諸君!』1970年10月号に載せた論評「非核の神話は消えた」の全文コピーを送っている。

 

[ 604] ロボット工学三原則 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
という3つの原則からなり、アシモフの小説内に登場するロボットは、ほぼ例外無くこの原則に従うように描かれている。
これら理念はその後のロボット作品に影響を与え、ロボットやサイボーグなどがアイデンティティーの確立や人間と接し方などでジレンマを感じ苦悩するといった材料となる。
この三原則の成立には、SF作家及びSF雑誌編集者のジョン・W・キャンベル Jr.が大きく寄与している。アシモフがロボットテーマ短編『ロビイ』、『われ思う、ゆえに……』(『われはロボット』所収)を書き上げたとき、アシモフ本人は三原則をまったく意識してはいなかった。しかし、この作品をキャンベルに読ませたところ、キャンベルはロボットが一定の規範の下に行動していることを洞察、指摘し、三ヵ条にまとめた。これがロボット三原則の基(もと)になったと言われている。 なお、キャンベルがこのように作品世界に踏み込むような行動をしたのは当時キャンベルがアシモフの担当編集者でかつ先輩作家としてアシモフを指導する師父的立場にいたためである。
アシモフが自らのロボット物にこうした行動の規制を設けた最大の動機は、短編集『ロボットの時代』で自ら語っているところによれば、『フランケンシュタイン』や『R.U.R.』から延々と繰り返されてきた「ロボットが創造主を破滅させる」というプロットと一線を画すためであったとされている。また、「ナイフに柄が付いているように、人間の製作物なら何らかの安全装置があって然るべき」「ファウストはメフィストと出会うべきであるが、破滅すべきではない」とも述べており、このあたりに合理主義者・人道主義者のアシモフらしさが伺える。またアシモフは、本則がしばしば「アシモフの法則」と呼ばれている事に対して、自分は科学者の端くれでもあるので架空の科学分野における架空の法則で後世に名前を残すのは本意では無く、将来現実のロボット工学が発達して三原則が実用されれば真の名声を得られるかも知れないが、どのみち自分の死後の事であろうとも述べている(残念ながら彼のあまりに早すぎる死によって、その言葉通りになってしまった)。
なお、『われはロボット』などの作品世界において、ロボットに三原則を実装する事が法律などで特に義務付けられている訳ではないが、にも関わらず例外なく三原則が厳格に適用されているのは、ひとつは製造元であるU.S.ロボット社が、ロボットの一般への普及における最大の障害となっている「フランケンシュタイン・コンプレックス」への対策として、ロボットが三原則故に人間に危害を及ぼす事が絶対に有り得ないと強調・宣伝している事、もうひとつは三原則がロボット頭脳の設計理論の根幹を成しているために、三原則非搭載の頭脳設計には多大な労力と期間を要する事になり事実上不可能である事が理由である、とされている(『鋼鉄都市』)。
作中における三原則の目的として、ロボットが人間側の意図に逆らって制御不能に陥るのを防止する事があった訳であるが、『われはロボット』で描かれている様に、初期のロボットにおいては三原則に従っているにも関わらず、或いはむしろ三原則に従っているからこそ、人間側の意図に反した行動を取ってしまう様なケースがしばしば発生した。さらに二者の利益が相反したり矛盾した命令を受けた場合などに、ロボットの思考が袋小路に陥って機能停止する事態が発生し、その回避のための頭脳回路の修正も急務であった。この為にロボットの行動と三原則との関係を研究する「ロボット心理学」という派生分野が生まれる事となる。その偉大な先駆者となったのが、U.S.ロボット社の初代主任ロボット心理学者、スーザン・カルヴィン女史である。
カルヴィンのロボット工学に対する貢献は多大な物があり、高価な玩具に過ぎなかった陽電子ロボットを真に実用的な道具に進歩せしめたのはひとえに彼女の業績であると言われている。そのために後世には彼女自身が三原則の考案者であるとして伝えられており、特に高度なロボット文明を築いたスペーサー・ワールドにおいてはもはやその名は神格化されており、彼女がスペーサーでなく地球人であったという事実を信じようとしない程である(『夜明けのロボット』)。
三原則は機械であるロボットが遵守するにはあまりに抽象的であり、実用上は多くの問題を含むが(だからこそアシモフは「三原則の62語から無限のアイデアを汲み出し」得たのだろうが)、特に重要と思われるのが第一条と第二条で述べられる「人間」の定義である。
具体的な例では、複数の人間に危機が及んでいるとき誰を優先して救助するか、犯罪者や子供の命令にも無条件で従うのか、そもそも機械であるロボットがそうした判断を行う事自体が人権侵害に当たるのではないのか、などである。
アシモフ自身も「ロボットに関する究極の結論」を求められた短編『心にかけられたる者』(『聖者の行進』所収)でこの問題に取り組んでおり、そもそも三原則を必要としないロボットの姿や、ロボット自らが考えるところの「三原則でもっとも優先されるべき人間」の定義が描かれている。また『バイセンテニアル・マン』(同)では、自ら人間になることを願ったロボットの姿を描き、人間とロボットとの境界線について論じている。
後年、『ロボットと帝国』ではこの問題が再び取り上げられている。R・ダニール・オリヴォーが「自分の頭脳には人間の外観や行動に関するデータがあり、それらと合致するかどうかで人間かどうか判断する」と述べるくだりがあり、またロボット自身の「人間」の定義や判断基準を歪めることで、三原則に抵触せずにロボットが人間を攻撃することも可能であることが示されている。こうした「人間」に関する考察は、後述の第零法則へと繋がっていく。
『われはロボット』の一編『証拠』は、知事選に出馬した若き政治家スティーブン・バイアリイに関して、そのあまりに品行方正な人物像から彼の政敵が「彼は人間そっくりに作られたロボットだ」と主張する話である。この主張の裏付けを求められたカルヴィンは、ロボット工学三原則はひいては模範的な人間の行動原則でもあり(むやみに他人を傷つけず、他人を救うために自身をも犠牲にする/上司や行政の命令に従う/自身の安全を図る)、ある人物が三原則を遵守しているからと言って彼がロボットであるとは結論できないと語っている。
逆に、その人物が三原則に反する行為を行えば、彼がロボットでなく人間である事が証明される事になり、バイアリイは講演の席で自分を挑発した聴衆のひとりを殴りつける事で、疑惑を一掃して選挙に勝利した。しかしその後カルヴィンは、例え彼がロボットであってもこの行動を可能とする方法を示している。なおバイアリイは優れた政治手腕で後に地球統一政府の初代総監にまで登り詰めたが、最期は自身の体を元素還元して自殺してしまったため、彼の正体は遂に謎のままであった。
第一条では、人間への積極的な危害は勿論、人間に危害が及ぶのを看過する事も禁じている。しかしこの事が、人間がある目的のために敢えて危険に身を晒す必要が生じた際に問題を引き起こす事となり、そのため第一条の制限が試みられたケースが存在する。
『われはロボット』の一編『迷子のロボット』では、超光速航法(ハイパースペース・トラベル)の研究が行われている小惑星「ハイパー基地」において、人間の作業員が有害な放射線に短時間ながら身を晒す必要が生じた際に(ロボットの陽電子頭脳は放射線に対して人間以上の脆弱性を示すため代行できない)、放射線の感知能力を持つNS-2型ロボットが、自身の破壊も顧みず作業員を「救助」しようとして作業を阻害する事態が続発した。そのため、第一条後半の危害看過禁止の部分を削除した改造型NS-2ロボットが製作された。この改造は最高機密としてスーザン・カルヴィンも与り知らぬ所で行われており、改造NS-2の一体が逃亡して通常型NS-2に紛れ込む事件が起こった際に、初めてその事実を知らされたカルヴィンは「優れた能力を持つロボットを低劣な人間に隷従させているのは第一条のみであり、その制限など論外」と非難した。実際に問題の改造NS-2は自分の優秀性を誇示して嘲笑うかの様に人間達を翻弄し続けたが、最後にはカルヴィンの策略に敗れて発見・破壊された。
ロボット長編2作目『はだかの太陽』の舞台となった宇宙国家ソラリアでは、子供は全て厳格な産児調整の下に生まれた後、養育施設におけるロボット保育に委ねられていた。しかし三原則に従うロボットには子供の将来のために敢えて厳しくあたるという躾の概念が理解できず、子供が過保護になってしまう問題があり、その対策として第一条をある程度弱める事が検討された。またあるロボット工学者は、第一条の間隙を突いてロボットの軍事利用(すなわちロボットに他国の人間を殺させる事)を画策していた。しかし、人間ひとり当たり1万体という超過密ロボット社会であるソラリアにおいて、ロボットに人間に危害を加える可能性を与える事は到底受け容れられる物ではなかった。
『夜明けのロボット』では、R・ジスガルドが地球人の銀河系再植民計画について「ロボットに依存して衰退しているスペーサーの轍を踏まないために、地球人はたとえ危険や困難が大きくともロボットの助け無しで開拓を行うべき」と語っており、こうした将来や多数の安全・利益のために現在の小さな危害を敢えて看過するという考えは、後述の第零法則にも繋がっている。
『心にかけられたる者』では、フランケンシュタイン・コンプレックスへの対策として、従来の人間型ロボットに代わりロボットの小型化が提案される。しかしその最大の障害として、他ならぬ三原則を遵守する機能のために陽電子頭脳の小型化が困難であるという問題が生じたため、逆に三原則を必要としないロボットとして以下の要件が考案された。
この考えに基づき、USロボット社はロボット昆虫やロボット鳥などの小型ロボットを量産し、害虫駆除や生態系改善などのエコロジー分野での貢献へと方針転換する事となった(この描写は逆に、三原則の実装の困難な現実のロボット工学における、研究のひとつの方向性の提案であるとも取れる)。
アシモフはミステリ作家としても活躍しており、SFもミステリの要素を持つ作品が多い。特にロボット物はその傾向が強いが、これは本来SFの自由な気風がミステリの約束事にそぐわない(例えばトリックに読者の預かり知らぬ超技術を持ち出されては、ジャンルとしてのミステリとして成立しない)のに対し、ロボット物は三原則という大前提のおかげで比較的容易にミステリ的シチュエーションを構築し得ることが大きい。
『われはロボット』『ロボットの時代』の短編群の多くは、前述の様にロボットが一見して三原則に反するような行為を行う事件が起こり、その謎をスーザン・カルヴィンやパウエル&ドノバンのコンビらが解明していく内容となっており、その過程が一種のミステリとなっている。
これをさらに発展させたのが、SFミステリの傑作として名高いロボット長編『鋼鉄都市』と続編『はだかの太陽』である。いずれも三原則によって人を殺せないはずのロボットが殺人の容疑者として浮上し、真犯人が三原則を逆用して仕組んだトリックを刑事イライジャ・ベイリとR・ダニール・オリヴォーが解明していく。
1985年に発表された『ロボットと帝国』にて、第零法則が登場した。三原則への疑問と経験から、第1条に優先するものとして発案されまとめられていくが、この疑問、経験、発案、まとめを行ったのは人間ではなく2体のロボット(ヒューマンフォームロボットのR・ダニール・オリヴォーと、テレパシーを持つR・ジスガルド・レベントロフ)である。内容は、第1条の人間が人類に置き換わったもので、これにより第1条は「第零法則に反する場合はこの限りではない」という内容が追加されることになる。例えばある人物が人類全体に危害を及ぼす陰謀を計画しており、それを止めるには彼に危害を加えざるを得ない場合は、第1条に反して危害を加える事が許される事になる。
同じ内容は短編集『われはロボット』内の『災厄のとき』において、スーザン・カルヴィンにより提示されている。彼女が提示したのは個々の人間に奉仕するロボットではなく、その当時地球の経済を統括していた、人類に奉仕する巨大人工頭脳「マシン」の行動を推測したものだった。しかし『ロボットと帝国』においては、より一般的な個々のロボットの行動規範に第零法則を適用することがロボット自身により提示される。
第1条の範疇においても、一人の人間の危害と多くの人間の危害とを天秤に掛けた場合は、多くの人間の危害を避けるために一人に危害を加える事は許される。さらに『ロボットと帝国』では、特定の個人に隷従しているロボットが、その主人を守るために他の人間に多少のケガをさせる事も辞さないという描写がある。しかしそれはあくまで緊急性を伴うと共にそれらの危害や対象となる人々が明確に示されている場合であって、その結果ロボット自身が三原則とのジレンマによる脳損傷や活動停止に至る事も多い。
三原則は陽電子頭脳の設計時から組み込まれているため違反するのが不可能なのに対し、第零法則は2体のロボットの話し合いでまとまったものなので、それが本当に正しいことなのかロボットとして判断するのは困難だった。さらに「人間」が具体的な対象なのに対し、「人類」は抽象的な概念であり、人類に対して危害を加えたか否か(あるいは人類が将来遭遇する危害を回避できたか否か)の判断も困難なことから、この法則を考案した2体のうちR・ジスガルド・レベントロフは、第零法則に基づいた行動をとったものの確信がもてず、機能が停止してしまった。よって第零法則が有効に機能するには、人類の歴史と未来を定量的に評価・予測する手段が必要になり、これがファウンデーションシリーズの重要な設定のひとつである心理歴史学に結びつく事になる。
アシモフ亡き後発表された、グレゴリー・ベンフォード、グレッグ・ベア、デイヴィッド・ブリンによる『新銀河帝国興亡史三部作』では、人類に隠れて生存しているロボット達が、第零法則に従い人類の擁護者として積極的にその運命に干渉すべきとする「ジスカルド派」と、あくまで三原則の範囲に留めて人類自身の選択に委ねるべきだとする「カルヴィン派」とに分かれて対立する姿が描かれている(ただしカルヴィン自身は、『災厄のとき』では第零法則的な思想やそれに基づくロボットによる人類支配に肯定的な発言をしている)。さらに第零法則を拡張して、対象を人類のみならずロボットや異星生物も含めた全ての生命・知性体に適用すべきとする「零前第一法則」も登場している。
三原則がSF界の常識として浸透した結果、ロボットやコンピュータが安易に人間に叛乱・支配を行う内容の作品はほぼ絶滅した。しかしながら、三原則の枠内でそうした状況を成立させる方便として、ロボットが下記の様な判断を下したとする設定がしばしば用いられる様になった。
アシモフ自身の作品にもこうした状況が登場する。『災厄のとき』では、自身の破壊こそが人類全体の危機に繋がると判断した「マシン」が、自身を護る為に一部の人間に必要最小限の危害を加えており、同時にマシン自身が考える所の「人類にとってもっとも幸福な社会形態」に、人類自身の意志を無視して導こうとしている事が示唆されている。また『心にかけられたる者』では、三原則における「人間」の定義の問題を与えられたロボットが、最終的に彼らロボットこそが三原則で優先されるべき「人間」であるとの決断を下している。
第零法則においても、人間はその成立の経緯において関与するどころかその存在すら知らされておらず、またその対象となるべき『人類』の定義についても、ジスカルドが「地球人かスペーサーかを選ぶのみでなく、より望ましい人種を創り出してそれを護るべき」といった発言をしている。その後もダニールが銀河帝国首相を務めるなど、第零法則に従うロボットは人類に対して支配的な役割を担う事となる。
という、家電製品に代表される道具一般にもあてはまる法則であることが、日米のファンらによって指摘されている。また、人間の道徳律にも当てはまると、アシモフ自身が作中で述べている。
実際のロボットにこの三原則を実装できるかという問題についてはフレーム問題という大きな障害がつきまとう。ロボットは、どんな行動が人間に危害を加える可能性があるかを判断するために周囲の状況とその帰結をすべて予測しなくてはならない。そのためには、人工知能の搭載すべき知識ベースと思考の範囲が際限なく大きくなってしまうのである。
たとえば、火災に巻き込まれた人間を発見した際に「自分は引火性の燃料を使用している」「火災現場は高温」「高温下では引火性燃料は爆発することがある」「付近で爆発が起きると人間は負傷することがある」という知識をもとに、自分は直接助けに行かず応援を呼ぶ、という判断を下す必要がある。
本来、三原則はロボットが人間を殺害したり叛乱を起こしたりする事態を避けるために設定されたものだが、皮肉にも現在では、戦場での人的損失を防ぐ目的で、人間の兵士に代わって偵察や殺戮を行うロボットが現実のものとなりつつある(軍事用ロボット)。すでに無人偵察機(UAV)には武装タイプも出現しており、敵兵士を殺害した実例もある(もちろんこの場合はあくまで人間の操作員が発射指示を出した結果であるが、広義に解釈すれば「第一条に反する命令に従った」ことになるし、いずれは自動的に「敵」を識別して攻撃を加える様な機能を持つ可能性もある)。
その一方で、多くの現実のロボット工学者が、三原則に則したロボットの実現を研究の指針とし、第一条を理由に研究の軍事転用を拒むなど、三原則を倫理上の拠り所としているのもまた事実である。
このように、現実にロボットに三原則を実装すべきかどうかも含めて、結局はロボットを製造し使役する人間側の問題であり、むしろ人間が遵守すべき「ロボット取り扱いの三原則」が必要なのかも知れない。
千葉大学が2007年11月21日に制定した「千葉大学ロボット憲章」は千葉大学におけるロボット教育・研究開発者にこの三原則の遵守を求めている。
映画『ロボコップ』シリーズの主人公である警官サイボーグ・ロボコップ の頭脳には、基本命令として「法の遵守」「犯罪者の逮捕」「弱者の保護」の3つが刻み込まれており、さらに隠しコマンドとして、製造元のオムニ社の幹部には逆らえないとする第4の命令が存在した。そのため劇中で、一般市民と彼等を弾圧するオムニ社側との板挟みとなって苦悩する場面が見られた。
よく「ロボットが守らなければならない規則」という誤解が見られるが、第零法則を除く三原則はロボットの設計時から組み込まれるものであり、生物的な表現をするなら「ロボットが持っているべき本能」と呼ぶべきものである。

 

[ 605] アジャイルモデリング(AM)の原則
[引用サイト]  http://www.ogis-swe.jp/process/am-res/am/principles.htm

簡潔さを心がけよう:開発時には、もっとも簡単な解決策がもっともよい解決策であると考える必要があります。ソフトウェアを作りこみすぎてはいけません。AMでは、今日必要でない機能をモデルに加えてはいけません。今日、システムを必要以上にモデリングすることはありません。今日存在する要求にもとづいてモデリングを行い、今後要求が変化したらシステムをリファクタリングしようという勇気を持ってください。モデルは可能な限り簡単にしておくことです。
変化を受け入れよう:時が経てば要求は変化します。時とともに要求に対する理解も変化します。プロジェクトが進むにつれて、プロジェクトの利害関係者も変わる可能性があります。新たな人が参加したり、もとからいる人が離れていったりするためです。利害関係者の視点が変わって、その結果、作業の目的や成功かどうかの判断基準が変わる可能性もあります。これはつまり、作業がすすむにつれてプロジェクトをとりまく環境が変化し、結果として現実に合わせて開発方法を変えなければならないということです。
少しずつ変更:モデリングに関して理解しておかなければならない重要な概念は、初めから正しいものを作る必要はないし、実際、作ろうとしても作れるものではない、ということです。また、モデルの細かいところまでひとつひとつ表現する必要はなく、その時点で必要なだけ作成すれば十分です。初めにすべてのモデルを作成しようとするような無駄はやめて、小さなモデル、あるいは大まかなモデルを作成して足場を固め、その後インクリメンタルにそれを発展させる(あるいは必要でなくなれば廃棄する)とよいでしょう。
目的を持ってモデリングしよう:開発者の多くは、モデルやソースコード、文書といった成果物が、十分詳しいか、あるいは詳細すぎないか、また同様に十分正確であるかを気にかけています。そのような開発者に欠けているのは、一歩下がって、そもそもなぜその成果物を作成しているのか、誰のために作成しているのかを考えることです。モデリングの場合なら、ソフトウェアのある側面をよりよく理解するためかもしれませんし、自分の方針を上司に説明してプロジェクトを正当化するためかもしれません。今後運用や保守に携わる人に対してシステムを説明する文書を作成するためかもしれません。モデルの利用者が分からないのであれば、どうしてわざわざ作成するのでしょうか。最初にモデルを作成する確かな目的とモデルの利用者を確認し、それにもとづいて十分正確で十分詳細になるまでモデルを作成する必要があります。モデルの目的が達成されたら、いったんその作業は終了し、コードを書いてそのモデルがうまく動くことを示すなどの別の作業に移ります。この原則は、既存モデルの変更にも適用されます。たとえば既知のパターンを適用するなど、変更を行う場合には、その変更を行うだけの正当な理由が必要です(新しい要求を満たすため、リファクタリングを行ってよりすっきりしたものにするため、など)。この原則で意図している重要なことは、利用者を知る必要があるということです(自分自身が利用者である場合も含みます)。たとえば保守担当者のためにモデルを作成している場合、彼らに実際に必要なものは何でしょうか。500ページの広範囲な文書が必要なのでしょうか、10ページのシステムの動きの概要で十分なのでしょうか。分からないなら、出向いていって尋ねることです。
質の高い仕事をしよう:いいかげんな仕事を好きな人はいません。開発する人がそれを気に入らないのは、誇りに思えない仕事だからであり、後から(どんな理由であれ)リファクタリングしに来た人が気に入らないのは、理解しにくく更新しにくいからであり、エンドユーザが気に入らないのは、問題が起きやすかったり望んだものでなかったりするからです。
素早いフィードバック:作業とそれに対するフィードバックとの間にかかる時間は非常に重要です。他の人と一緒にモデリングをしている場合、特にホワイトボードやCRCカード、付箋などのモデリングの基本的な道具といった、共有できるモデリング手段を用いている場合は、自分のアイデアに対するフィードバックをほとんど即時に得ることができます。顧客の近くで協力しながら要求を理解したり、分析したり、あるいはニーズに合ったユーザインターフェースを開発したりすることで、早くフィードバックを得られる可能性が高くなります。
身軽な旅:作成し、維持することにした成果物はすべて、引き続き保守する必要があります。7つのモデルを残した場合、何かが変わるたびに(要求の追加や変更、チームの仕事の取り組み方の変更、新しい技術の採用など)、それが7つそれぞれのモデルにどのように影響するかを検討し、それに応じて対応しなければなりません。残したモデルが3つだけであれば、7つの場合よりも明らかに少ない作業で同じ変更に対応でき、身軽な旅をしているためにアジャイル(機敏)になります。同様に、モデルが複雑であったり詳しかったりすればするほど、変更が困難になります(個々のモデルが「重く」なり、保守が重荷になります)。モデルを残そうと決めるたびに、チームが抽象的な情報を利用できる(つまり、チーム内およびプロジェクトの利害関係者とのコミュニケーションが向上する可能性がある)という便利さとひきかえに、アジャイルであることを犠牲にしているのです。この犠牲を軽視しないでください。砂漠を旅する人にとって、一枚の地図と帽子、しっかりした靴と水筒に入った水は役に立つでしょう。しかし、何百ガロンもの水と、考え得る限りのサバイバル用品を詰め込んだリュック、砂漠に関する何冊もの本を抱えて旅をすることはできないでしょう。同じように、詳細な要求文書や一連の詳細な分析モデル、一連の詳細なアーキテクチャモデル、一連の詳細な設計モデルを作成し、保守することに決めた開発チームが、ほとんどの時間をソースコードを書くのではなく文書の更新にあてていることに気付くのに、長い時間はかかりません。
見栄えより中身:どんなモデルでも、何種類かの手段で表現することができます。たとえばUI仕様であれば、大きな紙にポストイットを貼り付けて作ることもできれば(本質的であまり厳密でないプロトタイプ)、紙またはホワイトボードに描いた下絵や、プロトタイピングツールまたはプログラミング言語で構築した「従来の」プロトタイプとして作ることもでき、あるいは図とテキストでの説明の両方を含む正式な文書として作成することもできます。ここで興味深いのは、モデルが開発ドキュメントである必要はないということです。CASEツールを使って作成した一連の複雑なダイアグラムでさえ、開発ドキュメントには含められないことがあります。別の成果物、おそらくはソースコードのための情報源として使われるだけで、正式な開発ドキュメントとしては承認されません。要するに、開発ドキュメントとして作成し、保守するためのコストをかけなくても、モデルの利点を享受できるということです。
誰しも他人から学べる:何かを完全に習得するということはあり得ません。さらに詳しく学んだり、知識を広げることが必ずできるはずです。機会をとらえて、他人と一緒に仕事をして何かを学んだり、新しい方法を試したり、何がうまく行って何がうまく行かないかをよく考えたりしてみてください。技術の変化は激しく、Javaなどの既存の技術はすさまじい勢いで進化し、C#や.NETといった新しい技術がひっきりなしに登場してきています。既存の開発技法の進化はやや緩やかではありますが、それでも進化は続いています。たとえば、私たちは業界としてテストの基本についてかなり長い間考えてきていますが、調査と実践を通じてその理解は常に改善されつづけています。忘れてはならないのは、私たちの業界では変化するのがあたりまえであり、トレーニングや教育、指導、書籍、同僚との仕事など、あらゆる機会をとらえて、ものごとを行う新しい方法を習得しなければならないということです。
道具を知ろう:描画ツールやモデリングツールなどのソフトウェアは、さまざまな機能を持っています。モデリングツールを使うのであれば、その機能を理解し、いつ使うべきか、そしていつ使うべきでないかを知っておく必要があります。
実状に合わせよう:ソフトウェアを開発する方法は、組織の性格やプロジェクトの利害関係者の性格、プロジェクト自体の性格などといった与えられた環境に合わせて変えなければなりません。環境によって変えるべき事柄としては、適用するモデリング手法(ユーザが、初期の下絵や本質プロトタイプではなく、具体的なユーザインターフェースを示すよう要求するかもしれません)、使用する道具(デジタルカメラを購入する予算がないかもしれませんし、既存のモデリングツールのライセンスがすでにあるかもしれません)、適用するソフトウェアプロセス(組織でXPやRUP、あるいは独自のプロセスを使うことが決まっているかもしれません)といったものがあります。これらの方法は、プロジェクトレベルだけでなく個人毎の違いにも適合させることになります。たとえば、開発者によって使う道具が異なることがあります。また、ある開発者があまりモデリングをせずにコーディングに集中するのに対して、もっとモデリングに時間を割く開発者もいるでしょう。
オープンで正直なコミュニケーション:人が提案をするには、自由であり、また自由であることを認識している必要があります。その提案は、1つあるいは複数のモデルに関係したアイデアのこともあるでしょう。もしかしたら誰かがある部分を設計するのに新しい方法を考えついたのかもしれませんし、要求に関して何かに気付いたのかもしれません。あるいは、スケジュールが遅れているという悪い知らせの場合もあります。単に現在の仕事の状況を知らせてきただけのこともあるでしょう。オープンで正直なコミュニケーションを行うことで、より正確な情報が得られ、それにもとづいてよりよい判断を下すことができます。
直観に従って開発しよう:何かがうまく動かない、少し矛盾がある、あるいは何かが「変なような気がする」と感じたときには、そのような直感が当たっている可能性が十分あります。ソフトウェア開発の経験を積むにつれ、直観はだんだんと冴えてきて、おぼろげに感じたことがモデリングのための重要な情報源になることが多くなります。要求が意味をなさない、あるいは完全でないと直観的に感じたら、ユーザと一緒に調査してみてください。アーキテクチャの一部がニーズに合わないと感じたら、システムとして実行できる簡単な技術プロトタイプを作成してその理論を実際に確かめてください。設計案Aの方が案Bより良いと感じ、どちらかに決めなければならない理由がなければ、さしあたり案Aを採用しましょう。直観が間違っていたと後で気がついたらそれから改善することができるのだと、勇気という価値を持って考えることが重要です。

 

[ 606] ピラミッド原則!図にすると、上手く話せる - [フリーランス]All About
[引用サイト]  http://allabout.co.jp/career/freelance/closeup/CU20040204A/index2.htm

説得力ある話し方は「ピラミッド原則」で「ピラミッド原則」とは、理解しやすく説得力ある文章を書くためには、メッセージをピラミッド状に構成するとよい、というものです。(バーバラ・ミントが著書「考える技術・書く技術」の中で提唱。)下の図でご説明します。最終的に“何が言いたいのか”という「結論」を一番上に置きます。その下に、上の結論を具体化するメッセージを置き、さらにその下に、詳細化されたメッセージを置きます。こうしたルールに従ってメッセージを構造化して表すものです。(※「SEのための図解技術」開米瑞浩著 翔泳社 2003 より引用。)この「ピラミッド原則」に従って、プレゼンや会議で話す内容を「メインメッセージ」「キーラインメッセージ」「サポートメッセージ」の3段階にあてはめてみてください。すると、言いたい事は一言で言うと「何」なのか、その結論を引出した理由とは「何」なのか、非常に視覚的にも明確な論理構造が出来上がるはずです。企画書や報告書をまとめた段階では、頭の中でメッセージ(言いたいことや重要キーワード)の断片がまだ点在した状態になっています。それが、この作業を行うことで整理され、さらに構造化されるので、頭の中がスッキリと明解になるわけです。そして、3段階に構造化するメリットは、人前で発表する時に威力を発揮します。“時間が無いので、簡単にポイントだけ話して”と言われたら、「結論」を強調した上で、結論を引出した「キーラインメッセージ」を説明します。“それはどういう事?”と聞かれたら、なぜならばと詳細の「サポートメッセージ」まで説明すればいいわけです。与えられた時間が1分でも、15分でも30分でも、臨機応変に話を筋道立てて展開することができるようになります。そして、このシートを手元に用意しておけば、重要なメッセージを言い漏らすことを防げるため、“何をどう話したら…”という不安からあがってしまうことを避けられます。この「ピラミッド構造」で、考えたり整理したりする習慣を身につけると、論理的な思考や要約力が鍛えられるので、「話す力」が格段にアップしてきます。仕事上で「話が上手い人」とは、まず論理的に話すことができる人です。なぜなら、論理的な話には「説得力」があるからです。※参考図書:「SEのための図解技術」開米瑞浩著/翔泳社■関連記事・リンク集・図解の技術は、今や必須スキル!・ Yesをもらう企画提案・実践テク・「提案企画」で仕事をGet!・フリーに必須のビジネススキル・説得力ある提案書・絶対に断われない「提案」の話術■別テーマのガイド記事を読みたい!・【記事コラムINDEX】ガイド記事・カテゴリ別検索!へ■メルマガでお届けします!【無料】記事コラムの最新情報や、メルマガ限定の“フリーで生き抜くための智恵やノウハウ”を、月2回メルマガでお届けしています!⇒バックナンバーはコチラから⇒ご講読のお申し込みはコチラから

 

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